実は「RETAS」ユーザー! 山村浩二のアニメーション制作は『もーれつア太郎』がキッカケ【前編】

山村「『アニメージュ』が創刊されたのが78年で、そこにおかだえみこさんと鈴木伸一さんが小さなコラムを書いていました。8ミリフィルムでアニメーションが作れると書いてあるのをたまたま見て、その時にニャロメの謎が解けたんですよ。フィルムで1コマずつ撮影するんだって。流して撮ったのでは、絵は動かない。身近な人に聞いてパラパラマンガみたいなもんだって言われたけど、マンガのコマを1つ1つ撮影しても絶対アニメーションにならないよなって。それが8ミリフィルムでのコマ撮りを知って、自分でもやりたくなったんです。

 中高は陸上部だったんですけど、文化部もやりたくて高校は美術部とかけもちしました。中学の時にアニメーションは2本、高校の時にも1本制作しました。大学に入ってから、高校の時に中断していた人形アニメーションを仕上げていたのですが、その頃はあくまでも趣味だと思っていました。大学に入る時も単に創作の広がりを求めて、油画を選びました。東京造形大学には、油画専攻はなく、絵画専攻という名前でしたが、ほかにも映像もあったけど、それは意識してなくて、とにかく絵を描いたりマンガを描いたりアニメーションを作ったり、全般的に創作が好きでなるべく自由な方に行きたかったんです」

 美大への進学は考えていなかったという山村少年だが、高校の先生の勧めが契機となった。

山村「ほかの仕事をしながら、趣味でコツコツ好きな創作を続けられればというぐらいの考えで、とても消極的な子供でした。高校の美術部の先生が多摩美術大学出身で、NFB(カナダ国立映画制作庁)の16ミリフィルムを借りて視聴覚室で個人的に上映してくれたりして、それで『美大に行った方がいいよ』『予備校行きなよ』って言われて。美大なんか遠い存在で、美術や画家みたいなのは全くピンとこなかったんですけど、予備校に通い始めて何をやろうかなと思った時に消去法で、彫刻もデザインも日本画も興味がなく一番好きに絵が描けそうだったのが油絵だったんです」

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