登場店をめぐるのは真の読者じゃない──18年ぶり第2巻発売の『孤独のグルメ』は、なぜ面白いのか

1509_kodoku.jpg『孤独のグルメ2』 (久住昌之・谷口ジロー/扶桑社)

 18年の時を経て単行本第二巻が発売になった久住昌之・谷口ジローによる『孤独のグルメ』(扶桑社)。今や実写テレビドラマにもなり、誰もが知る名作である。

 一方で、どれだけの人が憶えているだろうか? 誰も見向きすらしなかった連載当時の状況を。『孤独のグルメ』最初に連載されていた雑誌「PANjA」(扶桑社)が低迷と迷走の挙げ句に瞬く間に休刊になった雑誌であることは、以前に姉妹サイト「日刊サイゾー」に記した(記事参照)。

 単行本の第1巻が発売されたのは1997年だが、当時は誰も見向きすらしない作品であった。むしろ、まったく売れずに休刊してしまった雑誌の掲載作品を単行本にしたことは、今となっては賞讃に値する。

 そうして時代の流れの中で、忘れ去られてゆくかに思われた作品が言及されるようになったのは、21世紀に入ってからであった。これは90年代末までバブルの余韻と共に残存していた高級なものや珍しいものをありがたがる形のグルメブームの終焉。それと同時代的な価値観の変容によるものであった。

 だいたい2000年頃を境にして、日本人の価値観は大きく変化した。それまで、まだ多くの人々は、誰もが欲しがるものの中で、どれだけ早く価値あるものを手に入れるかを争っていた。高度成長期の「三種の神器」に始まり、車や家、ファッションまで誰もがナンバーワンにどれだけ近づくことができるかに拘泥する時代であった。

 ところが21世紀の価値観は大きく変わった。

 多くの人々と競い合うナンバーワンよりも、オンリーワンのほうが重視される方向へ変化していったのである。「わかる人にだけわかるスゴイこと」を好む嗜好は90年代からジワジワと勢力を広げていったと思う。現在の『孤独のグルメ』の掲載誌である「週刊SPA!」が、渋谷にあるカレー屋「ムルギー」について何度も記述したり、限られた人にしかわからない、あるいは、どうでもよいネタを執拗に掲載していたことが思い出される。

 そうした「隠れ家」などというキーワードに象徴される、ほかの人にはわからないことを知っている自分がカッコイイと考える価値観の拡大に、『孤独のグルメ』はうまくマッチしていたといえるだろう。

 でも、オンリーワンを求める嗜好の中でブームになった『孤独のグルメ』も最近は、変容しているように感じる。とりわけドラマが放送されて以来、ドラマに取り上げられた店に必死で足を運ぶ人も絶えないという。つまり、オンリーワンの中でナンバーワンを求めるという、ややこしい状況が生まれているのである。

 これはとても恥ずかしい。そしてウザい。「食べログ」などの飲食系レビューサイトで、したり顔で評価しているくらいウザイ。本来『孤独のグルメ』という作品を通じて提示されたのは、ただ食べる瞬間に感じる一瞬に幸せ、そして戸惑いである。自分のルールの中で自分の好きなように食べるという、ストイックなダンディズムである。登場した店舗をめぐるような行為は、その精神性を理解していないことを示しているといえるだろう。

 ようは『孤独のグルメ』では、谷口ジローの筆致によって巧妙に隠されているが、久住が原作を担っている泉昌之『食の軍師』(日本文芸社)と根本的なテーマは違わない。一日に三度必ずやってくる空腹をいかに理想的に満たし得るかということである。生きている限り、いくら満腹になっても空腹はやってくる。満腹になっても後悔するし、次に食べたい物はいくらでも思いつく。理想的な食はきっと果たし得ない夢であろう。そんな複雑な思いが彼岸の域まで達しているから『孤独のグルメ』は面白いのだ。
(文=昼間たかし)

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