Twitterで流れてきたそれっぽい意見をRTするだけで精一杯な人にこそ読んで欲しい! 昼間たかし『コミックばかり読まないで』

1509_comic.jpg『コミックばかり読まないで』 (昼間たかし/イースト・プレス)

 マンガ、アニメ、ゲーム。もちろん同人作品も含めて、それらは何かを「表現する」ということだ。そして私たちオタクは――あるいはオタクだからこそ、「表現する」ことに対して「規制」をかけたい人々がいることを知っている。本サイトでも執筆する昼間たかし初の書き下ろし『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)は、「表現」と「規制」の最前線で戦ってきた筆者が接してきた、さまざまな人々の「生の声」に耳を傾けることができる一冊である。

 本書を手に取る人間は、おおまかに2種類の関心を持つ者に分類できる。そのうち、「ルポルタージュ」とか「ロフトプラスワン」という単語を聞き慣れない者――要するに、マンガ等の「表現の自由」に関心があって本書に惹かれた人間は、二章から読み始めることをお勧めしたい。

 そこには、長岡義幸『マンガはなぜ規制されるのか――「有害」をめぐる半世紀の攻防』(2010/平凡社)など、マンガ・アニメの表現規制を取り扱った数少ない著作を知る者なら読み慣れた単語が並び、読者の「準備運動」を手伝ってくれる。

 そう、二章は準備運動のようなものだ。マンガ・アニメの表現規制の話をするのであれば、少なくとも知っておくべき歴史的経緯をコンパクトにまとめたにすぎない。ルポルタージュが「自分で取材しなければ書」かない(p.41)ものであるとするならば、本書をルポルタージュたらしめているのは、通り一遍の歴史的経緯などではなく――筆者自身の取材に基づき規制論争の「現場」を記す三章および四章である。

 三章が「表現の自由をめぐる現実」と題されているとおり、筆者自身がマンガ・アニメをめぐる表現規制のうねりの中に身を投じ始めた2010年のいわゆる「非実在青少年」論争以降の筆致は、急激に生々しさを増す。議論の外縁をなぞるのではなく、議論の中にいる「人」を観察する。「表現の自由」という理念を大上段から論じるのではなく、「表現への渇望」という人々の叫びを草むらの中から掬い上げるのが、本書の最大の特長であろう。

 四章を読み終えてはじめて、私たちは「はじめに」に書かれた筆者の問題意識を本当の意味で汲み取ることができる。「取材を重ねれば重ねるほど、『表現の自由』の正体がわからなくなって」(p.5)いってしまった筆者の当惑が、本書を書かせたのだ。

 そんな筆者が、「ルポルタージュ」という形を通して、他人にとって、そして自らにとって「表現することとは何か」を問い始めるのは自然なことだ。「表現者」への取材を通してその答えを模索する五章を読み終える頃には、「ロフトプラスワン」のロの字も知らなかった読者であっても、なぜその「場」が本書のはじめとおわり――すなわち、一章と六章の中心になっているのかについて、興味を持ちながら読むことができるに違いない。

 「表現することとは何か」という問いに、簡単に答えを用意できるとは思わない。本書もその答えを求める遙か旅路のさなかに書かれた一冊である。

 しかし、筆者自身は想定していないだろうが、本書を読み終えた読者の頭には、「ルポルタージュとは何か」という問いに対するおぼろげな輪郭が浮かんでくることだろう。

 すなわち――ルポルタージュとは、人間讃歌であるということだ。

 現代の人々の言葉は伝聞に満ちている。新国立競技場問題でザハ・チームに罵声を浴びせていた人々のうち、彼女たちが出した声明を閲覧した者がどれだけいるだろう。アグネス・チャンをマンガ・アニメ規制の橋頭堡と見なして槍玉に挙げていた人々のうち、彼女が国会に参考人招致された委員会の議事録を読んだ者がどれだけいるだろう。デモが起きるたびにその最も醜い場面のみを強調し、自らと相容れない政党に対しては、その議論の中身ではなく間抜けな行為を嘲笑する。読む人々の溜飲が下がるように「パッケージ」された二次ソース・三次ソースの言説が幅をきかせているのが、現代日本の言説空間だ。

 本書の核となる三章・四章では、ある記述のパターンが繰り返される。マンガ・アニメの表現規制にかかわる様々な事件に遭遇した筆者が「関係者に話を聞かなければならない」(p.219)と足を動かし、事件に関わった人々の意図を、筆者を含むあらゆる主観が混じることを恐れずにみずみずしく描き出す、というパターンである。

 この行為に、取材対象者がマンガ・アニメ規制に賛成/反対の立場のいずれであるかというアプリオリな情報は影響しない。当事者と会い、話を聞いてから事件について考える。本書ではこの順番が基本のパターンとして随所に見られる。

 こんな書き方は、本来的に他人の「善意」を信じていなければ不可能だ。ゆえに、本書は人間讃歌なのである。

 さだまさしは『償い』の中で「人間って哀しいね、だってみんなやさしい。それが傷つけ合ってかばい合って……」と歌った。筆者が追いかけてきたアニメの世界でも、『機動戦士ガンダムUC』のOVA第4巻ブックレットで、3.11の原発事故に対し、原作者の福井晴敏が同じ眼差しを注いでいる。「そんなつもりはなかった……そんな吐息が漏れ聞こえ、人から未来を見る力を失わせているのも、これがよかれと思って為されてきたこと、すなわち『善意』の結果であることを誰もが心の底では承知しているからだろう」、「哀しみから逃れようとして、哀しみを増やしてしまうのが人間」なのだ、と。

 多少ひねくれてはいるが、人間の営みに対する本書の目線は、そして本書に登場する人々は、彼らと同じ優しさに満たされていると思うのだ。

 表現することを生業にしている人間は、「表現の自由vs.規制」という問題に興味があっても、時間がないゆえに情報収集を諦めてしまうことも少なくない。規制問題について考えたいけれど、息つく間もなくコミケはやってくるし、表現は楽しいし、Twitterで流れてきたそれっぽい意見をRTするだけで精一杯――。そんな人にこそお勧めしたい一冊だ。
(文=城内統)

<著者紹介>
昼間たかし
ルポライター。1975年岡山県に生まれる。県立金川高等学校を卒業後、上京。立正大学文学部史学科卒業。東京大学情報学環教育部修了。ルポライターとして様々な媒体に寄稿、取材を続ける。政治からエロまで、その取材フィールドの広さは、敬愛する元祖・ルポライターの竹中労の面影と重なる。近年『日本の特別地域 東京都足立区』をはじめとした「地域批評」シリーズを取材・執筆。東京都条例によるマンガ・アニメ・性表現規制問題を長く取材するかたわら、ゆうばり国際ファンタティック映画祭2009出品作『おやすみアンモナイト 貧乏人抹殺篇/貧乏人逆襲篇』の脚本を執筆。主な著書に『日本の特別地域 東京都足立区』シリーズほか地域批評シリーズ。永山薫との共著作『2007-2008 マンガ論争勃発』・『萌える名作文学ヒロイン・コレクション』等がある。
サイト:http://t-hiruma.jp/

コミックばかり読まないで

コミックばかり読まないで

「表現の自由vs.規制」は、無視できない問題

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