マンガ家としてのキャリアがスタートしたのは、2001年にマガジンスペシャルで連載した『サプリメン』。「それは単行本化されてないんですね。国会図書館とか行けばいいんですけど、初連載でも基本的には読むことができません」。雑誌掲載前のネームやペン入れにも触れ、「1枚いくらの原稿料で編集部に買って頂いて、雑誌に載って、それが面白かったら単行本になって、やっと印税が入ってくるという感じです」と経緯を説明した。
マンガを描くに際しても「まずネームの段階で絵を描いて、OKが出たら原稿の段階で絵を描いて、それにペン入れをするので、同じ絵を最低3回描かなきゃならないんです」と説明。「マンガ家になってる人はこれをクリアしてる人なんで、読んでて面白くないなと思っても、その裏側では大変な思いをしてるんですよ」。渡辺さんの場合、週刊の『弱虫ペダル』だけでなく、さらに月刊の『弱虫ペダル SPARE BIKE』と『まじもじるるも 放課後の魔法中学生』が加わり、月に6回の締め切りがある。「でもマンガ自体は娯楽なんで、そういうのは取っ払って僕は読んでほしいと思ってるんです」。
■好きなものを仕事にするか否か マンガとして展開しやすいジャンルの発見
渡辺さんは「自転車は好きで乗ってたんですが、編集さんと【女の子4人のわちゃわちゃなストーリー】の打ち合わせで雑談してた時に、『そっち(自転車)をマンガにしようよ』って言われて女の子の話じゃなくなりました(笑)」と、改めて『弱虫ペダル』誕生の経緯を述懐。
週刊少年チャンピオンと言えば、曽田正人さんの自転車マンガ『シャカリキ!』の存在も大きい。「『それを超えられないからダメだと思うんですよね』って言ったら、編集さんは『まぁまぁいいからやろうよ』って。僕は女の子4人でわちゃわちゃを結構推してたんですけど」。描き始めてみるとマンガにフィードバックできた。「自転車に乗るのも楽しいし、マンガを描くのも楽しいねって発見があったので、描いてよかったなと幸せに思います」。
マンガとして展開しやすいジャンルである発見も。「自転車レースだと、集団の中だと結構おしゃべりしてるんですよ。ヨーロッパのレース中でも、選手たちは割とおしゃべりしてて、競技中に話をしてるのもリアリティがあるし、同じ方向に向かって走ってて、足を緩めれば後ろの人が追いつくのが理にかなってるので」。
『弱虫ペダル』の渡辺航が地元・長崎で講演会 荒木飛呂彦や秋本治との逸話も披露のページです。おたぽるは、イベント情報・レポ、マンガ&ラノベ、弱虫ペダル、渡辺航、長崎県美術館の最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!
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