「Fは一言で言えば天才」 藤子不二雄Aが藤子・F・不二雄に抱いたジレンマとは?

1507_hujikohujio.jpg藤子不二雄A作まんが道(小学館)1巻(Kindle版)

『笑ゥせぇるすまん』(中央公論新社)や『怪物くん』(小学館)といった作品で知られるマンガ家・藤子不二雄A(以下、A)が今月16日放送の『ゴロウ・デラックス』(TBS系)に出演。作品の裏話をはじめ、“藤子不二雄”として共に活動した藤子・F・不二雄(以下、F)とのエピソードを明かした。

 藤子不二雄の代表作といえば、『オバケのQ太郎』(小学館)。番組でAは同作のヒットの秘訣について語る。Aいわく、中学生の頃から2人は手塚治虫に憧れていたものの、手塚の後を追っていたら絶対抜くことはできないと思ったとか。そこで、手塚が描かないジャンルで勝負しようと思い、“日常の生活”を描くことに。そうして生まれたのが『オバケのQ太郎』。ちなみに、『オバケのQ太郎』の原稿はFがQ太郎、Aは主人公・大原正太を執筆し、またページを半分に切って、上半分をF、下半分Aが描くといった方法をとることもあったという。

『オバケのQ太郎』以降もFが『パーマン』(小学館)、Aが『忍者ハットリくん』(小学館)、『怪物くん』など、各々ヒット作を発表。だが、Aが30歳に差し掛かると、とある心境の変化が。番組で「藤本くんっていうのは永遠の童心っていうんですかね。20歳になっても30歳になっても40歳になっても『ドラえもん』とったマンガを描けたんですけど、自分は30歳ごろにだんだん童心が薄れてきた」と語ったA。Fとの才能の違いにジレンマを感じ、「僕は藤本くんのマネージャーをやるしかないんじゃないかって気持ちになった」ことも激白していた。

 しかし、その当時、幸いにも青年コミックというジャンルが生まれ、『笑ゥせぇるすまん』の前身である『黒ィせぇるすまん』を描き、手応えを掴んだAは大人向けのブラックな作品を次々と発表。その頃にFも『ドラえもん』(小学館)でヒットを飛ばし、その対照的な作風からAは「黒い藤子」、Fは「白い藤子」と呼ばれるように。番組でFについて、Aは「一言で言えば天才。あれぐらいの男はほかにいないと思いますね」と評した。

 ほかにも、トキワ荘にいた頃は月刊誌5本と週刊誌3本の連載を抱えており、毎日原稿の締め切りがあったこと、1974年連載開始の『プロゴルファー猿』(小学館)が生まれる前、妻に「狂ったの?」と言われるほどゴルフにハマっていたという話、また現在「ジャンプSQ.」で連載中の『PARマンの情熱的な日々』(共に集英社)は編集長直々にオファーされ、最初は断ったが、若い作家の中で描くのは面白そうだと快諾したエピソードも、Aの口から明かされた。

 Aは今のマンガ界について「今のマンガはすごいことになっててね。僕なんかが到底描けないようなマンガが山のように出てる」「(マンガは)進化を遂げてる」と語る一幕も。そのマンガ家たちの礎を築いたA。現在81歳だが、今後もどんな作品を生み出してくれるか、楽しみだ。

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