■「ヲタ活」を取るか、アイドルへの道を選ぶかで号泣
――そんなヲタ活をする一方で、ヲタ仲間とアイドル活動を始めるんですよね。
小桃音 それが今話したハロショで知り合った東京の子で、その子もTHE ポッシボーさんを好きになって、一緒に現場に通っていたんです。そうやってヲタ活をしているうちに、地下アイドルという存在を知って、大手の事務所に所属しないでアイドル活動をしていると。中には無所属の方もいると聞いて、それはすごい! もしかしたら私たちもステージに立てるかもしれないと思って、ネットでアイドルイベントの主催者を調べて自分から連絡して。「持ち歌はないし、事務所にも所属していないですけど、アイドル活動をしたいんです」とお願いして活動が始まりました。
――その当時の地下アイドル界隈ってどんな雰囲気だったんですか?
小桃音 一般的には全然知られていなくて、本当に濃い人たちだけが知っている世界でした。
――活動は秋葉原が中心だったんですか。
小桃音 私たちが初めて出たステージは秋葉原でしたね。しかもライブハウスでもなくて、メイドカフェの一角(笑)。ちょっと段になったところに立って、ちっちゃいスピーカーを置いて、有線マイクで歌うっていうのが初めてのステージでした。
――その時は、何を歌ったんですか?
小桃音 Buono!さんとThe ポッシボーさんの曲を歌いました。頑張って振り付けも真似をして、衣装は原宿に行って、ちょっとロック寄りのコスプレっぽい服をお揃いで買って。
――お客さんの数は、どれぐらいだったんですか?
小桃音 ほかにも何組か出ていたので、そのグループのファンもいたんですけど、私たちもライブを観に行った帰りに自分たちで作ったチラシを配っていたんですよ。それを見て来てくれたお客さんもいたんですけど、そもそも20人も入ればいっぱいのメイドカフェだったので満員でした。お客さんというよりは友達感覚で観に来てくれたので、アットホームで雰囲気も良くて、スゴく盛り上がってくれたので楽しかったですね。自己紹介も考えて、初めてのステージから「まいにゃ」って呼ばれたのもうれしかったです。
――その時からすでに、愛称は“まいにゃ”だったんですか?
小桃音 まいにゃは小学生時代からのあだ名で、ユニットを組んだ友達にも“まいにゃ”って呼ばれていたから、そのままステージでも引き継いだんです。
――当時は、まだ神戸在住ですか?
小桃音 はい。ヲタ活と自分のライブをセットにして上京してきて、ハロコンを観る、The ポッシボーさんのライブを観る、自分たちのライブをやる、みたいな。
――多忙ですね~。どのぐらいのペースで、ライブはやっていたんですか?
小桃音 練習もしなきゃいけないし、歌詞も覚えなきゃいけないしで、月イチぐらいでした。でもヲタ活のほうは2週間に1回ぐらいのペースでしたね(笑)。
――2人で活動していた期間はどれぐらいなんですか?
小桃音 1年弱だったと思います。
――最終的にレパートリーはどれぐらいあったんですか?
小桃音 毎回同じ曲をやっていても、観ている人はつまらないだろうなと思って、全部カバーですけど少しずつ増やしていって、20曲ぐらいにはなりました。クオリティ的にはあれれ? って曲もありましたけどね。
――ハロプロ関連のカバー曲ばかりだったんですか?
小桃音 途中から友達がハマっていた9nineさんの「sky」などもカバーしました。
――その当時、同じステージに立っていた地下アイドルで気になる存在はいましたか?
小桃音 Chu!☆Lipsさん、Feamさん、コスロボ(コスメティックロボット)さんですね。何度も同じイベントに出させていただいたんですけど、私たちはトップバッターで、トリを務めるのがその3組のどれかって感じで、憧れでしたね。
――その3組から影響を受けたことってありますか?
小桃音 どのグループも盛り上がりがスゴかったんですけど、Feamさんはパフォーマンスがカッコ良くて「ダンスのキレがいいね」とか、Chu!☆Lipsさんは歌声が可愛かったので「私たちも可愛く歌おう!」とか、コスロボさんはMCが面白かったので「やっぱボケ担当がいたほうがいいよ」とか、それぞれ勉強になりました。ただ私たちは友達同士で始めちゃった分、お仕事のパートナーという感じじゃなかったんですよ。お仕事モードになるとケンカするし、友達モードだとフザけっぱなしと中途半端でしたね。
――それでも、今のマネージャーさんから「事務所に所属しませんか?」と声をかけられて、条件として「ヲタ活禁止令」を出されたわけですが、葛藤はありませんでしたか?
小桃音 相当ありました。「これから現場に行けなくなるんだよ!」って泣きながら2人で話し合いましたからね。でも、こんなチャンスはめったにないし、「いつか同じステージで憧れの人と共演できるかもしれないんだよ」と友達を説得したんですけど、その子は客席からステージを観ていたいってことで辞退して。でも私は、やるだけやって、辞めてからヲタ活を再開しようと。そんなに長く続くと思っていなかったし、今できることをやろうって思ってアイドルの道を選びました。
――事務所に所属して、すぐに上京したんですか?
小桃音 最初は神戸から通っていました。週末に上京するたびに3~4本、時間の許す限りはライブを入れてもらっていました。あまりレッスンの時間が取れないので、ライブ自体が練習って感じでしたね。
――完全にヲタ活は封印したんですか?
小桃音 実は……今まで言ったことがなかったんですけど、本当は一回だけありました(笑)。ライブが午後に1本しか入っていない日があって、たまたま夜から中野サンプラザでハロコンがあったんですよ! なので一回だけ行ったことがあります。
――でも一回だけで我慢したのはすごいですね。ハロショの出入りはOKだったんですか?
小桃音 ハロショも禁止されていましたけど何度か行きました(笑)。ただ上京して東京に住むようになってからはライブの数が多くて。年間300本とかやっていた時期は、ハロプロの新曲を追うのも難しかったのでヲタ活どころではなかったですね。
――ここまでデビューまでのお話を伺いましたが、今の地下アイドルシーンと比べると、隔世の感がありますよね。
小桃音 今は地下が地下じゃないというか。昔は大きな事務所じゃないとテレビに出られなかったし、雑誌で取り上げられるなんてこともありえなかったです。今はライブ界隈で人気が出れば雑誌やテレビに出られるチャンスもありますからね。それにネットも普及して、Twitterなどをキッカケに大勢の人に知ってもらえる機会も増えて、情報が拡散して人気になるグループさんもいますからね。
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