「ニコニコ超会議2015」レポート

“アニメの情報量”はディテールの細かさ? 庵野秀明が川上量生と語った「アニメの『情報量』とは何か」

2015.05.02

「ニコニコ超会議2015」に庵野秀明が登場!

 4月25日、千葉・幕張メッセ開催の「ニコニコ超会議2015」で硬派な議論が行われる「超言論エリア」のメインステージにて、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』で知られる庵野秀明監督と、4月10日に『コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと』(NHK出版新書)を発売したKADOKAWA・DWANGO代表取締役会長の川上量生氏による対談が行われた。テーマは、「アニメの『情報量』とは何か」。

 そもそも「情報量」とは、情報理論で使われている用語。だが、アニメ業界でも“情報量”という言葉が使用されているそうだ。そのアニメ業界で、初めて“情報量”という言葉を使った人物が庵野監督。雑誌「アニメスタイル」のインタビューで、TVアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』の制作について聞かれた際、“情報のコントロール”というのが一番大切だということを話したのが始まりだという。ただ、当時は“アニメは情報ではない”という反発が多く、評価したのは『機動警察パトレイバー』などで知られる押井守監督くらいだったそうだ。

庵野秀明。

 川上氏は著書『コンテンツの秘密』で、「理系的にクリエーターが何をやっているのか」ということを考え、“アニメの情報量”とは何か触れているそうだが、今回の議論では、川上氏も庵野監督も、根本的な“アニメの情報量”の定義を示さないまま議論が進み、“感覚的”とも言える、実に文系的な内容となってしまったことが残念でならない。本来、情報理論でいう「情報量」とは、簡単に言えば、不確かなものが確かなものになった時に知った情報の量(ある事実を知ったときの驚きの量)だ。例えば、初めから結末を予想できたベタな王道ストーリーの映画と、最後に想像もしなかった大どんでん返しのある映画なら、どんでん返しのある映画の方が、情報量が大きいといえる。

 しかし、今回の議論を聞く限り“アニメの情報量”とは、ストーリーの単純さと複雑さ、描き込みの多さと少なさ、といったもの。単純にそのものが持っている情報の多さ、少なさ(つまり、ディテールの細かさ)が“アニメの情報量”ということのようだ。そして、観客に何を伝えたいのかによって、その量をコントロールすると庵野監督は説明する。例えば、観客に伝えたいものをごまかすときは、情報を多くし、カット全体で捉えてもらうように促したり、キャラクターを引き立てる場合は、背景を描き込まず、どこにいるのかという最低限の情報だけ与えるようにしたりということだ。そうした中で、庵野監督が最低限の“情報量”で映像を作ろうと試みたのが、TVアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』「第拾六話 死に至る病、そして」の線と声だけのシーンだったという。

会場の最前列には宮崎駿コスの男性が!! 熱心に庵野秀明の話を聞いていた。

 今回、情報理論の「情報量」という視点でみたとき、興味深かったのは、庵野監督の絵コンテの話だ。庵野監督は、あえて絵コンテの完成度を低くしているそうだ。絵コンテには面白さの要素だけを詰めて、どう面白くするかはアニメーターに任せたいと話す庵野監督。「宮さん(宮崎駿)の場合は絵コンテが完成予想図ですが、(自分の絵コンテは)その先にもっと面白くできる余地を残したい。最初にイメージ画面を作ってしまうと、到達点が見えてしまうので」と語る。

 このくだりに、“情報量”という言葉は出てこなかったが、庵野監督は絵コンテから「情報量」をコントロールしているといえるだろう。絵コンテに不確定要素を多くすることで、完成品には予想を超えた面白さを持たせたいということは、絵コンテの(情報理論でいうところの)情報量を大きくするということだ(逆に、完成品とのギャップが少ない宮崎監督の絵コンテは情報量が小さいといえる)。

 この庵野監督が好む“「情報量」が大きい絵コンテ”は、庵野監督が実写を撮ることにも通じる。実写を撮る理由について、庵野監督は「(アニメは“情報量”をコントロールできるが)全部自分でコントロールすると、自分で考えている以上のものは出てこない。だから、自分が考えていること以上のものが出るのは、実写の方が多いです。思いもよらないような絵は実写の方が出てきて、幅も広がります」と答えている。

 絵コンテが持つ「情報量」の大きさ、それが庵野監督の作品が持つ面白さのひとつなのだろう。
(取材・文/桜井飛鳥)

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