まさに“はらたいらに全部”捧げた人生 “ヒモ男”だったはらたいらを支えた妻・ちず子の良妻っぷり

1503_harataira_2.jpg(※イメージ画像)『はらたいらに 全部』(アスコム)

 ドラマ化もされた小説『ゲゲゲの女房』(実業之日本社)の筆者で知られるマンガ家の水木しげるの妻・布枝など、偉大なマンガ家の隣にはそれを支える妻の姿があった。そんなマンガ界一の糟糠の妻といえるのが、マンガ『モンローちゃん』(日本文芸社)やクイズ番組『クイズタービー』(TBS)で知られ、『クイズタービー』出演者の中で一番の正解率を誇ったことで知られるマンガ家・はらたいらの妻・ちず子だろう。

 今回は、3月17日に放送された『ありえへん∞世界』(テレビ東京)の「あの偉人を陰で支えたニッポンの妻スペシャル」で放送されたちず子の良妻っぷりを紹介したい。

■“ヒモ”だったはらのせいで仕事をクビに!

 高校の校内新聞に寄稿されたはらのマンガを読んで、はらの才能にほれ込んだちず子。在学中にはらと対面することはなかったが、上京後にはらからの連絡で出会うことに。しかし、それをきっかけにちず子ははらに金を貸す日々が続く。当時のはらはマンガ家として売れておらず、血液銀行(民間商業血液銀行)に自分の血を売り、なんとか生計を立てていた。そんなほとんど“ヒモ状態”のはらは、ついにちず子の会社にまで行き、金をせびるように。それが原因でちず子は会社をクビになってしまう。その後、2人は結婚するものの、はらはマンガ家仲間と酒盛りをするばかり。一方、ちず子は仕事を掛け持ちし、はらの邪魔にならないように夜に仕事が終わると朝まで外を散歩してそのまま仕事に向かっていたという。そのせいで体重は結婚前と比べ、16キロも落ちてしまったとか。それでもちず子ははらの才能のために働くと決意し、愚痴ひとつこぼさなかった。そんなちず子の支えもあって、はらはそのころからマンガの連載が増え始める。

■ちず子がはらにしていた気遣いがすごすぎる

 はらがマンガ家として安定しても、常にはらがマンガを描きやすい環境にしようと務めていたちず子。夫婦喧嘩をするとマンガが描けなくなるはらを気遣って、極力喧嘩は避けていたという。そんな中、はらが33歳の時に『クイズダービー』のレギュラー出演が決まる。元々、風刺マンガや政治マンガを描いていたはらは本・新聞・雑誌を常にリサーチしており、驚きの正解率を誇っていた。しかし、正解すればするほどはらは周りからのプレッシャーに襲われるように。ちず子はそんなはらを気遣って、出演が決まって3年間は自分からはらに声をかけることはしなかったという。

■はらのためなら自己犠牲もいとわない

 1992年に『クイズダービー』の放送が終わると、はらは全国各所で講演会を行い、その合間でマンガを描くという生活を送っていた。その多忙さははらが過労と心労で倒れるほど。その後、仕事を減らしたものの、うつ状態になってしまったはらだが、その時、ちず子が乳がんに冒されてしまう。ちず子は手術で乳房を残すという手段もあったものの、「自分がいなかったらはらがなにもできないから」と入院日を減らすため、左乳房の全摘を決意した。そして、はらが晩年に肝硬変で入院したときも、人見知りでひとりではナースコールを押すこともできなかったというはらに付きっきりで看病したちず子。自分なしでは寝付けることもできないはらを気遣って、宿泊が禁止されているにもかかわらず、こっそり病室に泊まり、はらが寝るまで寄り添っていたという。

――はら亡き後、「はらたいらと結婚したことになんの後悔はない、“はらたいらに全部、まさに私の人生全部”、【注釈:捧げると】そう決めていましたから」という言葉を残しているちず子。そんな彼女を見ていると、マンガ家を妻として支えることの大変さが伝わってくるのではなかろうか。

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