姫乃たまの耳の痛い話 第17回

「そこの白いビキニの子」発言に心は崩壊…美脚をからませて再起にかける元人気アイドルの落日

 よく彼女を撮影していたというそのカメラマンは、当時を思い出して「とにかくすごかったよ。すごい人気で、撮影してても勢いがあるっていうか」と、目を細めながら私に話してくれました。しかし、盛者必衰のアイドル業界のことです。不祥事など、特に大きな理由もなく、彼女の人気は徐々に下降していきました。常に1年先まで真っ黒に埋まっていたスケジュールも、徐々に空白が目立つようになってきました。

 それでも、ほかのアイドルと比べれば格段に仕事は多かったそうですが、事務所の後輩に周囲の目が向くようになると、焦りが隠せず、撮影現場でも楽屋から出てこなくなるなど、奇行が増えたと言います。人気絶頂の時は断っていたこまごました仕事も受けなければならなくなり、マネージャーが気遣いながら仕事内容を伝える姿には、「胸が痛んだ」とカメラマンさんは振り返っていました。

 長らく人気の衰えを受け入れられなかった彼女が、その事実をはっきりと自覚させられたのが、グラビア撮影の時だったそうです。グラビア撮影は彼女の得意な仕事でしたが、ソロでの撮影が当たり前だったのに、その頃にはほかの女の子と抱き合わせの撮影が増えていました。さらにセンターだった立ち位置が、横になり、後ろの列になり、後ろの列の端っこになり……。以前の自分と同じポジションに立っている後輩を見つめる彼女に、カメラマンのアシスタントは「そこの白いビキニの子」と呼んだそうです。「いま思い出してもヒヤッとするよ。アシスタントは若い男の子で、人気があった頃のあの子を知らなかったんだよね」とカメラマンは言います。彼女の心の糸が切れた瞬間でした。誰もが憧れるアイドルだった彼女が、名前すら呼ばれない「白い水着の子」になったのです。その場でしゃがみこんだ彼女の、断末魔にも似た泣き声を、今でもはっきり思い出すそうです。

 私は歌舞伎町のネオンをぼんやり眺めながら、掘りごたつの下のおみ足を思い出していました。最大の武器だったあの脚で、彼女は再び華やかな世界への糸を掴もうとしていたのです。私は自分の胸が痛んだ理由を探ろうとして、やめました。

●姫乃たま
1993年2月12日、下北沢生まれ。エロ本育ちの地下アイドル、ライター。アイドルファンよりも、生きるのが苦手な人へ向けて活動している、地下アイドル界の隙間産業。16才よりフリーランスで開始した地下アイドルを経て、ライター業を開始。アイドルとアダルトを中心に、幅広い分野を手掛ける。以降、地下アイドルとしてのライブ活動を中心に、文章を書きながら、モデル、DJ、司会などを30点くらいでこなす。ゆるく、ながく、推されることを望んでいる。

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