「デザインの先に残る何かを生み出せたら」職業アニメ監督として生きるいしづかあつこの半生【後編】

■J.C.STAFFに監督として出向 逝去した今敏監督、出崎統監督との逸話

 いしづか監督が単独で本格的に監督としてデビューしたのは、12年放送のテレビシリーズ『さくら荘のペットな彼女』(以下、さくら荘)となる。テレビシリーズ『ちはやふる』(11年放送)の絵コンテなどを手伝っている時であった。

いしづか「『さくら荘』の話は早い段階で来てました。社内でも原作モノの企画はあったんですよ。いくつか候補が挙がってる中で会議をしてたところで、私に充てるべき作品はどれかなとプロデューサー陣が悩んでいて、意見も求められたんです。ちょうどJ.C.STAFFのプロデューサー・松倉友二さんが『さくら荘』の企画を持って来られた時に原作も読んで、私は『さくら荘』がいいと思いました。それで会社に(J.C.STAFFへの監督出向を)相談してみたら『ライトノベル原作はマッドハウスが苦手としてきたところだから、勉強しておいで』って言われて。ライトで若いファン層の作品はJ.C.STAFFが得意としているので、そういう意味では学べるところも多いだろうなと。箱入りの正社員が別のスタッフの中でいきなり監督やるというので、とんでもないプレッシャーだったんですけど、実際に出向してみると現場は毎日学園祭のノリのようで相性が良くて、原作者の鴨志田一さんも良い人で、執筆活動でお忙しい中、脚本会議も含めてアニメの現場にいつも欠かさず顔を出してくださって、一緒に作品を作ってくださる、とても素晴らしいクリエイターでした。こんなに頻繁に連絡を取り合い、意見をいただきながら制作に臨めたのは初めての経験で、おかげさまで勉強になりましたし、またとっても仲良くなりました。鴨志田さんとは今も『新刊できましたか?』とか、連絡を取り合ってます(笑)。

『さくら荘』は、りんたろう監督の名前がクレジットされていることでも注目されていた。

いしづか「りん監督とちゃんとお話できたのは『さくら荘』の時なんです。マッドハウスからも『りんさんにも協力してもらえることがあったら頼んでごらん』とのことで、お願いしてみたら快く引き受けてくださって、1話の絵コンテ渡してみたら『すごいねー。ちょっと考えてみる』って、エンディングのアイデアを出してくださいました」

 一方で、10年に今敏監督が逝去した。長編『夢みる機械』の制作途上とあって、惜しまれる死となった。同時に公開された今監督の遺言も、多くの人々の涙を誘った。

いしづか「今監督も可愛がってくださったんですが、最初は嫌われてたんですよ。『デジタル・スタジアム』の時(今監督もキュレーターの1人だった)は私がマッドハウスに入るってご存じなかったと思うんですが、入社当時、なぜか知らないけど今監督が飲んでるところに『新入社員の女の子1人連れてこい』ってことで呼ばれました。アニメのこと知らずに入っちゃってるから、その頃は今監督がおっしゃっていることがわからなくて……なんとか話を合わせなきゃって思ってたら嫌われました。きっと全て伝わっていたんでしょうね。自分を偽って相手に合わせるだけの、浅はかな若輩者だって。『俺とお前は一緒に仕事をすることはない』と言われて口をきいてもらえなかったんですけど、何年かたったらまた呼び出されて『また怒られる』と思ったら、『友達になろう』と言われて。何か認めていただけたんだと思います。『すごく変わったね』って言われましたが、私自身はまだ認めていただけるほどに変われたという自覚はなくて、ただむやみに、自分の足りないところをなんとかしようとあがいていただけなのですが、その格好悪い姿をずっと見られていたのでしょうか(笑)」

 翌11年には出崎統監督が逝去する。出崎監督は、りん監督やマッドハウス元社長の丸山正雄さんら、旧・虫プロダクション出身同士で、マッドハウスを立ち上げた盟友でもあった。同年のOVAシリーズ『ブラック・ジャック FINAL』(製作:手塚プロダクション)には、監修・シリーズ名誉監督とクレジットされている。

いしづか「出崎監督は仕事ではご一緒させていただいたことはないんですけど、たまたま丸山さんと会議室で話をしている時に通りがかった出崎監督が入ってきて私の隣に座り、『頑張って!』って言われたことがありました。出崎監督のようなアナログなアイデアで魅せる演出はとても憧れで大好きなので、例えば出崎監督の嵐の表現ってカッコいいし、キャラクターの心情に合わせて画面が変わるのも出崎監督ならではだと思います。今だとある程度のリアリティーを求められてしまって、ありえない絵作りが敬遠されてきてたんですが、私もオーバー演出というか、出崎監督の演出を見て感動したからやってるのかなって。出崎監督の作品に演出で参加できてたらなぁって、今では後悔してるんですけど」

 ちなみに、いしづか監督がJ.C.STAFFに出向したのも同じく11年。その年は、日本テレビがマッドハウスの筆頭株主となったことでも話題となった。それを受けて社長の丸山さんはMAPPA、同社プロデューサーの齋藤優一郎さんはスタジオ地図を立ち上げることになる。スタジオ地図は、細田守監督が長編を制作するためのスタジオで、『おおかみこどもの雨と雪』の企画が進んでいる最中の出来事だった。現在MAPPAでは各テレビシリーズの制作を請けつつ、片渕須直監督の長編『この世界の片隅に』の制作が進んでいる。

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