FROGMAN、人生の転機となった『菅井君と家族石』から10周年!「今はFlashアニメと言わないようにしている」【前編】

■YouTube前夜の過渡期は“Flash黄金時代”最後の宴 当時からの変遷を振り返る

 ネット時代の寵児といえるFROGMANさんだが、その点については否定する。

FROGMAN「いうほどネットのことは詳しくなかったんですけどね。『菅井君と家族石』の頃(04年)は、よくわかってなかったです。『2ちゃんねる』(を理解したの)も、東京に戻ってきてからなんですよ。よくわかんないでしょ? どうやって見たらいいのか(笑)。

 実況板だけはDLEの谷東さんから教えてもらって、『秘密結社 鷹の爪』が始まった06年頃は見てたけど……。『菅井君と家族石』の頃はブログもそんなに広まってなかったし、『mixi』もできたばっかりだし、掲示板の力が強かったんですよ。『2ちゃんねる』もそうだし、いろんなところのそれ系の掲示板が。あと『イイ!アクセス』とか『pya!』とかの個人ニュースサイトやネタサイト」

 このあたりの話は、先のロマのフ比嘉さんのインタビュー参照を併せて読むと、当時の雰囲気への理解が深まるだろう。

 実のところ、「JAWACON 2005」が企画されたのは、Flashがはやっていた一方での“危機感”からでもあった。当時あれだけはやっていながら、Flashを使ってアニメーションを制作しているユーザーで、商用として成功を収めている人が誰も出てきていなかったからだ。自身もFlashユーザーである主催者のルンパロさんは、そこを懸念していた。自主制作・個人制作のアニメーション界隈全体では、02年から03年にかけ、山村浩二さんの『頭山』がアカデミー賞にノミネートされ、新海誠さんの『ほしのこえ』や真島理一郎さんの『スキージャンプ・ペア』が大反響を巻き起こした余韻の残る中だけに、その“危機感”はなおさらである。

FROGMAN「僕もあの当時、『2ちゃんねる』のFlash・動画板の界隈では最後発でしたね。いわゆる『紅白FLASH合戦』で盛り上がってた人たちって、00年前後が最盛期だったじゃないですか。僕はデビューが04年だったんで、Flashはもう最終というか……素人が騒ぐところじゃなくて、クオリティが上げ止まりで淘汰されていった時期だった気がします」

 このほか「JAWACON 2005」は、もう1つの話題作が登場するキッカケも生んでいた。ラレコさんの『やわらか戦車』である。『やわらか戦車』は翌06年、株式会社ファンワークスとライブドア社のタイアップサイト「livedoorネットアニメ」で公開されるが、『秘密結社 鷹の爪』と時期をほぼ同じくしていたのもあり、各所で並んで特集が組まれることがたびたびあった。ちなみにラレコさんは、「JAWACON 2005」にて『くわがたツマミ』を展示上映していたことで、来場した株式会社ファンワークスの目に留まったのだ。

「JAWACON 2005」の当時、『くわがたツマミ』はすでにサクセスからプロデュースを打診されていた。後に同社がリリースする(『なめこ』シリーズの起源でもある)ゲーム『おさわり探偵 小沢里奈』のサイトからさりげなくリンクを張ることでデビューを「発覚」させた。最終的には『くわがたツマミ』もlivedoorネットアニメでの公開に移った。

 こうして「JAWACON 2005」から商用として成功を収めるケースを生み出せたことで、当時のFlash界隈を覆う“危機感”は払拭できた。しかし“危機感”はYouTubeという別のかたちですでに現れていた。

FROGMAN「確か、ラレコさんと僕が同時くらいにデビューですよね。その後すぐにYouTubeが出てきて、『2ちゃんねる』のFlash・動画板も寂れていっちゃって……。僕らは、その波に滑り込んだ感もありますね」

 YouTubeは05年2月の開設だが、日本ではやりだしたのは同年末からである。こうしてFlashブームは下火となっていく。YouTubeがFlashで構築されていたことから、ファンからは「FlashがFlashを殺した」などの意見も聞かれた。そうした声も06年末にニコニコ動画が登場すると、否応なくかき消されていった。無論、ニコニコ動画もFlashで構築されている(スマートフォンやタブレットには、Flash以外で対応させている)。

■「今はFlashアニメと言わないようにしている」

 ただ作品の公開場所が変化しても、制作ソフトとしてのFlashの使いやすさは変わらない。FROGMANさんがこれまでFlashを使ってアニメを制作してきた理由について尋ねると……。

FROGMAN「その当時というか今もそうなんですけど、Flash以上に作りやすい映像ツールがなかった。After Effectsや3DCGよりも圧倒的なスピード感と、みやすい(“簡単”の意=中国地方で使われる方言)のではFlash以外にないかなと思っていて。『Flashじゃなきゃ嫌だ』というわけじゃなくて、Flashを超えるツールがあれば乗り換える気はあります」

 Flashでの制作における難問としては、「3000フレームの壁」があったことがユーザー間ではよく知られていた。制作中、ファイルの尺が10分を超えるとバグが出てくるという問題だ。その問題を抜きにしても、長尺の作品はシーンごとにファイルを制作し、後でPremiereなどで結合するのが通常の制作方法であった。作風上、通常の映画と比べて作品のファイルサイズがはるかに小さくなることの多いFROGMANさんは、『秘密結社 鷹の爪』の映画本編を1ファイルに収めようとして、Flash開発元のAdobeに呆れられたこともあったという。世に“Flashアニメ”の存在を広く知らしめることとなったFROGMANさんだが、Flashを販売するAdobeと組むことなども考えなかったのだろうか?

FROGMAN「Adobeは『蛙男商会だと“Flashはショボいものしか作れない”という印象を受けかねない』という意識があるみたいで、あまりウチとガッチリ何か組んでやりたいって思いはないみたい。それはすごくわかるし、『なんだよ!』とは言わないですけど、もうちょっと“Flash”って言葉を認知させた功績をたたえてくれてもいいじゃないって(笑)。みんな青池(良輔さん)に行っちゃって……。僕ほどFlashを使ってる人間はいないのに(笑)」

 先にも名前が登場した青池良輔さんは、現在『紙兎ロペ』の制作などで活躍している(『紙兎ロペ』はFlashで制作していないので注意)。

 いわばFlashアニメを牽引してきたFROGMANさんだが、さらにここで重要な発言が飛び出した。

FROGMAN「今は『Flashでアニメ作ってる』って言っていいのかってくらいに高機能化して、利用も広範囲にわたっている。HTML5とのせめぎ合いもあって、Flashはアニメーションツールじゃなくなってます。だから、僕らも“Flashアニメ”って言わないようにしてますもん。Wordを使って小説書いてる人をWordクリエイターって言わないでしょ? (DLEが手がける作品については)意識的に『Flashアニメって書かないでくれ』って言うようにもしてますし、肩書も今は“Flashアニメクリエイター”ではないんですよ。映像クリエイターとか、別の言い方をしてますね」

 次回、「チャンネル5.5」や『監督不行届』の話に続く。
(取材・文/真狩祐志)

【中編】はこちらから。

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