FROGMAN、人生の転機となった『菅井君と家族石』から10周年!「今はFlashアニメと言わないようにしている」【前編】

――「島根にパソコンなんてあるわけないじゃん」。2000年公開のアニメ映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』のセリフが面白がられる中、04年、実際に島根県でパソコンを使って制作された“あるショートアニメ”がネットを中心にヒットした。島根県に暮らす赤貧の黒人家族をコミカルに描いた『菅井君と家族石』。この作者はFROGMAN、今年3月に東証マザーズに上場した映像コンテンツ制作会社・DLEの取締役でもある。『菅井君と家族石』を自主制作したことで、人生が劇的に変化したFROGMANさんに、あらためてこの10年を振り返ってもらった。

1411_frogmanint_1.jpg映像クリエイターのFROGMANさん。「JAWACON 2005」のチラシと共に。

■このイベントなくして今のDLEなし! 伝説のイベント「JAWACON 2005」

 10年前、04年の冬、大阪で「菅井君と家族カフェ」が開催された。これは、気功師の菊池ドクケンさんが企画した『菅井君と家族石』の自主盤DVD発売イベントである。筆者は一体どんな人物がこの作品を制作しているのか気になっていたところで、ようやく会えるチャンスが到来した。この絶好のタイミングを逃すわけにはいかない。当時『菅井君と家族石』を公開していた動画投稿サイト「BroadStar(現:BROSTA TV)」のスタッフにも声をかけ、会場に向かった。

 カフェのドアを開けると、そこには黒ずくめの長身の男。同時に地声からすでにクリス・ペプラーさんに似ていることを確認した瞬間でもあった。そう、この人がFROGMANさん、その人である。

FROGMAN「あの当時もそうなんだけど、相変わらず『これ(映像)で食ってく』ってつもりはずっとありましたね。『蛙男商会』って“商いの会”って名前をつけたのが、自分の中でも矜持というか、『別にこれは遊びじゃなくて、食うためにやってんだ!』っていう思いを貫いてます」

 あの日、FROGMANさんと話して実感した本気度は、10年後の今も健在である。

FROGMAN「プロとしてDLEでやってても、『個人作家だから安くやってよ』みたいな見方をされるんですけど、『いやいやいや。そこらへんはキッチリお金を頂きますよ』と。『商売だから食うためにやってんだ!』というスタンスは、まず変わらない。それ以外は、ほとんど変わっちゃいましたね。1人でやってると言いながら、今はあの頃よりはお手伝いさんもいるし、状況が変わっちゃってる。変わらないのは『これで食ってこう』ってプライドだけですね」

 当時話題となった『菅井君と家族石』の陰で、同時期に制作していた『雨が嫌いな男の話』は知る人ぞ知る作品だ。『雨が嫌いな男の話』の制作理由について、FROGMANさんはこう語る。

FROGMAN「今でこそ“バイラルムービー”って言葉があるけど、ショートの作品を作ることで商品とどんどん絡めていって拡散をさせよう、という戦略が当時からありました。それで、『菅井君と家族石』のキャラクターを使っていきたいと思ったんですけど、『菅井君と家族石』の黒人キャラクターは『ジョン・コルトレーンまんまやないか!』っていうツッコミどころ満載なんで(笑)。『雨が嫌いな男の話』は、ナンセンスじゃないほうがよかった。商品によっては、『まじめなコンテンツがいい』って人も中にはいるんじゃないかなと思ったんですよ」

『雨が嫌いな男の話』は哀愁を漂わせた作品である。

FROGMAN「それで最初にロボットのバーテンダーを出して、舞台となるバーで起こるさまざまな物語を考えてたんです。そしたら『菅井君と家族石』のほうがヒットしちゃって……。ネットはエログロナンセンスが好きなんで、なかなかそういう真面目ないい話って出しづらいというのはわかってたんですけど(苦笑)」

 とはいえ『菅井君と家族石』は、当時のFROGMANさん自身を投影した作品でもあった。

FROGMAN「とにかく名前を売らなきゃいけないというか、仕事が欲しくて。そこも今と変わらないかなぁ。作ったら作りっぱなしじゃなくて、それをどういう出口に出して、どういう人たちに受け止めてもらえるかというのを考えながら作るというのは今も変わらない。だからその宣伝も自分で一生懸命やってました。

『BroadStar』もだけど、当時は雑誌『Windows100%』(晋遊舎)とか『ネットランナー』(ソフトバンクパブリッシング[当時])とかで取り上げてもらえましたよね。『弥栄堂』の塚原重義さん【代表作:『ウシガエル』など】とか森野あるじさん【代表作:『YUKINO』など】、ルンパロさん【代表作:『フルスロットル・マイナス』など】も。じゃあ、あの手の雑誌に取り上げてもらったからと言って、話題になるかっていうと……」

 当時、ルンパロさんは同じく大阪で、翌年8月に向けて自主制作イベント「JAWACON 2005」を企画していた。FROGMANさんの話を聞いた筆者は、是が非でもFROGMANさんの本気度に応えたい、そう思うやいなや、カフェにルンパロさんを呼んだ。shockwave.com AWARD 2004での受賞者同士であるなど、以前より互いの存在を知っていたこともあり、両者は意気投合。後日、正式にFROGMANさんの「JAWACON 2005」への参加が決定した。

「JAWACON 2005」はネットで公開している非商用作品がメインのイベントだったが、後に『つみきのいえ』でアカデミー賞を受賞した加藤久仁生さんの『或る旅人の日記』や、『九十九』でアカデミー賞にノミネートされた森田修平さんの『カクレンボ』、吉浦康裕さんの『水のコトバ』なども展示上映していた(同年冬に発売される『ペイル・コクーン』のチラシも置かれていた)。

「JAWACON 2005」最大の見どころは、当日用にクリエイター各自が制作した新作をホールで上映するというものだった。その陣容はFROGMANさんのほか、森野あるじさん、POEYAMAさん【代表作:『ゴノレゴ』など】、512kbさん【代表作:『2ちゃんねる大王』など】、のすふぇらとぅさん【代表作:『機動戦士のんちゃん』など】、青池良輔さん【代表作:『CATMAN』など】、「JAWACON 2005」のビジュアルを描いたイラストレーター(現:マンガ家)の丸山薫さんら……と、当時ネットで話題のクリエイターが一堂に会することになった。

 そしてこの約半年後、06年春にテレビ放送され、話題を呼ぶ作品が誕生することになる。もちろん『秘密結社 鷹の爪』だ。同作は「JAWACON 2005」用に制作した作品ではなかったものの、『秘密結社 鷹の爪』をプロデュースすることになるDLEが「JAWACON 2005」に来場したことで、FROGMANさんはメジャーデビューの機会を得たのだから、人生どうなるかわからない(DLEもまた、これを機に飛躍を遂げることになった)。

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