『アニソンの創成期とソノシートの果たした役割』レポート!

「小林亜星の登場で日本の音楽界が変わった!」ソノシートの仕掛人・橋本一郎が語ったアニソンの進化

2014.11.14

『アニソンの創成期とソノシートの果たした役割』講演会の様子。

 去る10月18日、京都国際マンガミュージアムにて『アニソンの創成期とソノシートの果たした役割』と題した講演会が行われた。

 講演会の名の通り、ソノシートとはアニソン創成期を牽引したメディアのことで、アニソンの歴史をたどっていくにあたって避けて通るわけにはいかないものだ。この講演では当事者の口から生の話が聞ける貴重な機会とあって、当日は多くの聴衆が集まった。

 ソノシートが誕生したのは1950年代後半のこと。当時はやや高価だったビニール製レコードの安価な代用品として普及した。その後、59年12月には、“音の出る雑誌”としてソノシート付き雑誌「月刊朝日ソノラマ」が創刊され、『鉄腕アトム』のヒットを機に、子供たちの間で人気を博していくこととなる。

 この日は、そんな「朝日ソノラマ」で『鉄腕アトム』のソノシートを企画し、“アニソンブームの立役者”となった橋本一郎氏自ら登壇。アニソンとソノシートの歴史が語られたのだ。

橋本一郎氏(写真右)と、司会を務めた京都精華大学准教授の佐川俊彦氏(写真左)。

 当時、マンガ家・手塚治虫の担当編集だったという橋本氏は、57年から放送されていたラジオドラマ『赤胴鈴之助』の主題歌レコードがヒットしていることを聞き、「こういうのをウチも出したら売れるのではないか」と、1963年にアニメ『鉄腕アトム』の主題歌のソノシート化を企画する。それまで「朝日ソノラマ」には、英会話や報道現場のインタビューなどのソノシートが付けられていたが、アニメ主題歌の企画は初の試みだった。

 その頃一番売れていたレコードは、ラジオドラマ『君の名は』の主題歌で約130万枚。『鉄腕アトム』のソノシートは、それに迫る120万枚の売上を記録した。

 その勢いは凄まじく、週刊誌にも「日本に『赤胴鈴之助』を歌えない子供はいない。『鉄腕アトム』は犬でも歌っている」と書かれるほど、次から次へと発注書が舞い込んできていたと橋下氏は振り返る。

 こうして『鉄腕アトム』でヒットを飛ばした彼が次に手がけたのは、同年10月に放送が開始された『鉄人28号』のソノシートだ。主題歌の作詞・作曲・編曲をひとりで担当した三木鶏郎は、日本で初めてコマーシャル・ソングをつくった人物だった。平均印税が1曲1円50銭~2円という中、ソノシート化にあたって三木氏からはその数倍の金額を要求されたというが、橋本氏はそれを会社に言わず勝手に承諾してまで、氏に賭けた。

 しかし、そんな『鉄人28号』のソノシートの制作において、ある問題が起きる。

「歌詞の中に『グリコ~グリコ~』という部分があったんです(歌の最後にスポンサーだったグリコの社名を連呼する部分がある)。当時レコードやソノシートには商品名を入れてはいけないという決まりみたいなものがあったので、三木鶏郎大先生に『(グリコの歌詞が)入るのは困るんだ』と伝えたんですね。すると、大先生曰く『グリコからの要請で、「鉄人28号」のタイトルよりもグリコの名前が目立つようにつくった』というんです」(橋本氏)

 当時のテレビアニメは一社提供の作品が多く、主題歌の歌詞にスポンサー名を入れるというのが主流だった。最終的に、話し合いでソノシート版からはグリコの歌詞をカットすることになったそうだが、橋本氏は今でも、この主題歌を聞くとあの時のやりとりを思い出して「胸がズキン、と疼く」のだという。

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