エロマンガやエロゲーも他人事ではない? 「日本ビデオ倫理協会」と“モザイク”の歴史に鑑みる自主審査団体の意味

2014.10.15

日本ビデオ倫理協会の後継組織となる映像倫理機構公式HPより。

 2007年にアダルトDVDの審査が不十分だとして、日本ビデオ倫理協会(以下、ビデ倫)の審査部統括部長ら数名の関係者がワイセツ図画販売幇助容疑で逮捕された事件。10月7日、最高裁は被告側の上告を退ける判決を下した。

 かつてアダルトビデオの有力な審査団体だったビデ倫は、これを受けて2008年6月に審査業務を終了。現在は、映像倫理機構に一切の業務を譲渡する形で解散をしている。今回の記事では事件の概要を振り返り、マンガ・アニメなどの“表現の自由”に関わる問題を考える材料としてもらいたい。

 ビデ倫は、映画倫理委員会(映倫)を参考にして、1972年に設立された自主管理委員会であった。発足当時の主体となったのは東映ビデオ・日活・日本ビコッテの3社だったが、80年代に入り大手レンタル系のアダルトビデオメーカーが多数会員となり、審査を受けるように。審査の方法は、審査員が2名同時に申請された作品をモニターでチェック。消し(ボカシ)が薄かったり小さかったりして性器が見えそうな場合、やり直しを進言するシステムが取られていた。

 その審査に対しては「不透明」などと非難もなされたが、80年代のアダルトビデオ流通の主流だったレンタルビデオ店や問屋は、ビデ倫の審査を受けていない「無審査」の商品は扱わない方針をとっていた。ゆえに、いかなる制作会社であれビデ倫の審査には従わざるをえない状況であった。1993年には『ボディコン労働者階級』『女犯』などの過激な作品で知られた「V&Rプランニング」が「自主的な退会」=実質的な追放に追い込まれる事件があった。だが、その後も同社は他社への販売委託などの形でビデ倫の審査を通し、活動を続けることとなる。ビデ倫が審査を“独占”している状況で、その呪縛から逃れることはできなかったのである。

 ところが、90年代半ばからそんな状況に変化が起こる。当時巻き起こった「ヘアヌード」ブームを受け、一部の制作会社からビデ倫の審査を受けずに「ヘアビデオ」を発売する動きが始まったのである。そのため、1994年9月にはビデ倫が「ヘアビデオ等過激な無審査ビデオ」を制作しないよう会員各社に通達を行っている。しかし、「ヘアビデオ」に限らずビデ倫の審査を受けない「セルビデオ」は拡大していく一方だった。

 大きな契機になったのは、佐藤太治によって設立されたセルビデオ専門チェーン「ビデオ安売王」の登場だ。1993年秋に発足したこのチェーンは、男性向け週刊誌などに見開きの広告を打ち、多くの加盟店を集めて公称1000軒近くのビデオ販売網を構築する。「ビデオ安売王」の本部である「日本ビデオ販売」は1996年に倒産するが、残された店舗には営業を継続するところも多く、セルビデオは独自の販売網を確立していく。

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