単行本化記念インタビュー

“息を引き取る”という言葉の意味がわかった……漫画家・宮川さとしが向き合った“母の死あるある”の日々

140807_miyagawa02.JPG作者の宮川さとしさん。

 実際、癌になったからといって、すぐに亡くなるわけではないです。しばらくは、癌と共に生活するわけですよね。

 当時私は、岐阜県で自営業の塾をしながら、漫画家を目指していました。それに独身で、他の兄弟より時間に自由がききましたから、母の看病もしていたんです。母の診察の待ち時間に漫画のネームを描いていました。

 最初は余命半年と言われていたんですけど、抗癌剤とかやっているうちに2年ほど経ちまして、

「本当に、このまま大丈夫なのかも」

と気楽に思っていた矢先に、母はがくっと体調を崩して、そのまま亡くなってしまいました。

 母が亡くなる瞬間まで、まばたきもせず見ていました。“息を引き取る”という言葉の意味がわかりました。とてもつらかったけど、貴重な経験をさせてもらったと思います。

 母が亡くなった後は、とにかく毎日がしんどかったんですよね。漫画を描いていても、息をしても、どんな時も……。つらくてつらくて。

 がんばっても、その結果を見せられる人がいないのは、本当につまらない。この気持を誰かに共感してほしくて、とにかく思いを吐き出そうと思ったのが、この漫画を描くきっかけです。

 でも最初は大々的に発表する気はなかったんです。「身内に読んでもらえればいいな」くらいに思ってました。でも、編集さんにネームを見せたましたら、「きちんと作品にしてみませんか」と言っていただいて……連載させていただくことになったんです。

 リリー・フランキーさんの『東京タワー』とか大好きなんですけど、お母さんが亡くなるところまではキチンと描いてあるのですが、亡くなった後のことはあまり描かれていないですよね。もちろん作品としては、それでよいのですが、ぼくは母の死後の世界を描こうと思いました。

 作業自体はとてもつらかったです。

 制作のアイデアの核にしていたのは、当時つけていた携帯電話のメモだったんでよ。
 
 最初は医者の話ってむずかしいので、覚えておくためにつけはじめたメモだったんですけど、いつの間にか母との会話の内容や、母がこんなときに落ち込んでいたなどの様子、自分の感情をメモするようになっていて。それを母が亡くなった後にあらためて見るのは予想以上にしんどくて、泣きながら作業していました。

 母が亡くなったのが2012年で、その1年後に東京に引っ越してきました。だからこれはほんの最近の話で、実はまだ心の傷は癒えていないんです。

 でもまだ癒えていない今だから、

「母はアイスの実のパイン味が好きだったな……」

なんて些細な事をありありと思い出せる。今だからこそ、作れた作品だと思うんです。

 この作品はいわゆる“あるあるネタ”です。いわば“お母さんを亡くしたあるある”ですね。お母さんを亡くした時、みんなが経験するだろうことを連ねています。

 お通夜の時に、親族でコンビニに行って各々、自分たちの好きな食べ物を買って食べることになったんです。カップラーメンを買おうとしたんですが、その時「デラックス」とか名前につくのを選ぼうとしている自分に気がついて。

 母親が死んで数時間しか経ってないのに、良いカップラーメンを選ぼうとしている自分に、

「それってどうなんだよ」

って憤ったんですが……たぶん同じ経験をされた人は世の中にたくさんいると思うんです。

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