Kindleでも読める30年前の名作プレイバック 第12回

飢えと殺人と人肉食が繰り返される……日本の少年誌ではもう見られないであろう『アシュラ』が描いたもの

 とまあ、それはさておき、大問題になった『アシュラ』であったが、連載は僕が生まれる1年前に終わっている。『アシュラ』の存在を知ったのはたしか中学生くらいで、『銭ゲバ』『アシュラ』共に幻の作品になっていた。

 読めないとなると、読みたくなるのが人の情。学校近くの古本屋を回って探したが、なかなか見つからなかった。『銭ゲバ』はなんとか中学の頃に読むことができたが、『アシュラ』を初めて読んだのは、社会人になってからだった。

 今回久しぶりに読み返して、冒頭のナレーションがすごくキツイことを言ってるな……と思った。鯉の共食いを見た話からはじまり、戦争中に人肉を食べた人の話題になるのだが、

「その人はさいごにこういった 人肉を食べたのは正当防衛だと……… その人はなんとも 下品な目をしていた」

と締めくくっている。

 人肉食を扱う場合、カルデアネスの板が引用されることがある。カルデアネスの板とは、船が難破した時、板にしがみついてなんとか助かっていた男が、その板にしがみつこうとするもうひとりの男を水死させてしまったという話だ。この場合は、罪には問われない。つまり緊急避難、正当防衛の話だ。

 となると、緊急時なら人肉を食べても仕方ないんじゃないか? と思うところだが、アシュラは冒頭で

「どんな状況だったとしても人の肉を食べたという業から逃げられると思うなよ」

と釘をさしているのだ。

 舞台設定として、飢饉が利用されるケースはまれにある。例えば手塚治虫の『どろろ』でも、どろろの母が、炊き出しの粥を素手で受けてヤケドを負うシーンは印象深い。

 ただ、それでもやっぱり舞台装置なのだ。物語に深みを与えるための、いち要素にすぎない。物語が進んでいくと、飢餓については描かれなくなる。妖怪を追いかけてる時に、いつも「腹減った〜腹減った〜」と言っていたらうっとうしいことこの上ない。

 しかしアシュラは飢餓、人肉食そのものがテーマだから、いつまでも飢え描かれ続ける。1巻前半の悲壮感は素晴らしい。
 
 とある家族が飢餓によって崩壊していく様子などがリアルに描かれている。母親が死の間際に、自分の肉を食べるよう子供に言うシーンは強烈だ。

 ただその後、アシュラが散所(子供に強制労働させる場所)に入ってからは、物語は急に失速する。仲間ができるし、アシュラも言葉を話すようになる。アシュラの父親や母親、マドンナ的存在の女性まで登場し……なんだか普通のマンガになってしまうのだ。

 アシュラのセリフ、

「生まれてこなければよかった」
「なんでこんなめにあったおれが人間らしく生きなきゃならないんだギャア」

 という叫びも、平安時代の飢餓にあえいでる子供の言葉とは思えない。なんか、昭和の子供の泣き言って感じなのだ。

 愛に飢えて泣くアシュラを見ても、なんだかあまり同調できない。死ぬか生きるかの飢えの時に、愛なんて言ってられないだろう……と思ってしまうのだ。

 最後は子どもたちだけで旅をするロードムービーになるのだが、それほど盛り上がらず、母親が死んだところで、プツンと話が終わってしまう。大人の事情はわからないけれど、打ち切りっぽい感じだ。

 できるならば前半戦の悲惨で陰湿で、ただひたすら飢えと殺人と人肉食が繰り返される残酷な物語をもっと読みたかった。

 とはいえ、もう少年マンガ誌で人肉食をテーマにした漫画が描かれることはないだろう。そんな希少なマンガをワンクリックで読めるのだからやっぱ電子書籍はいいな〜。

 これ読んでる少年たちも『アシュラ』を読んで、トラウマ作って!!

●村田らむ(むらた・らむ)
1972年、愛知県生まれ。ルポライター、イラストレーター。ホームレス、新興宗教、犯罪などをテーマに、潜入取材や体験取材によるルポルタージュを数多く発表する。近著に、『裏仕事師 儲けのからくり』(12年、三才ブックス)『ホームレス大博覧会』(13年、鹿砦社)など。近著に、マンガ家の北上諭志との共著『デビルズ・ダンディ・ドッグス』(太田出版)、『ゴミ屋敷奮闘記』(鹿砦社)。
●公式ブログ<http://ameblo.jp/rumrumrumrum/

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