Kindleでも読める30年前の名作プレイバック 第10回

『ドラゴンボール』セル編で感じたマンネリ感と“生き返り”設定の難しさ キャラクターが死んでも緊張感がない!

――今から30年前以上前、そう僕らが子どもだったあの頃に読みふけったマンガたちを、みなさんは覚えていますか? ここでは、電子書籍で蘇るあの名作を、振り返っていきましょう!

『ドラゴンボール』セル編で感じたマンネリ感と生き返り設定の難しさ キャラクターが死んでも緊張感がない! の画像1(イラスト/村田らむ)

 というワケで(前回まではコチラ)、『ドラゴンボール』はついに、「セル編」に突入する。

 ぼくはこの頃、ちょうど大学に合格して、単身名古屋から福岡に引っ越した。

 大学に入ったら女子にモテっぱなしで、「ジャンプ」読むヒマなんかなかった……なんてことは全くなかった。モテない道はまだまだ続くのである。

 大学では映画研究部に入った。映画研究部には部室があって、そこはいつもみんなのたまり場だった。当時はまだ携帯もなかったから、待ち合わせ場所も決まって部室。いつもダラダラと時間を潰していた。だって部質には大体、誰かが買ってきた「ジャンプ」「サンデー」「マガジン」が放置してあったので、みんなで回し読みができたからだ。

 物語は、「フリーザ編」でボロボロになったフリーザが、ロボ化して父親と部下たちとともに地球にやってくるところから始まる。ところが、地球を破壊しようとするフリーザの前に、見慣れぬ青年が現れ、あっさりとフリーザと父親を倒してしまった。これは衝撃的な展開だったのだが、さすがに

「ナメック星での悟空、悟飯、クリリン、ブルマの苦労はなんだったんだ……」

という気分になった。

 映画研究部の部室でも賛否両論で、「あれだけ盛り上がったフリーザ編が台無しだ。もう読むのやめる!!」なんて極端な人もいた。
 
 同時に、新キャラのトランクスが、ベジータとブルマの子供というのも衝撃だったが、こちらは好意的に受け入れられたようだった。『ドラゴンボール』の世界の中では珍しい、影のあるクールなイケメンキャラで、女性人気を取りにきているのか? なんて邪推もしたくらいである。

 『ドラゴンボール』は「ベジータ編」からSF的な展開になったが、今回はよりハードSFな展開になる。

 トランクスは人造人間たちに壊された、絶望的な未来(彼にとっては現在)を変えるために、現在(彼にとっては過去)へブルマの発明したタイムマシンでやってきた。おそらく映画『ターミネーター』シリーズに影響を受けたのではないだろうか? とは言え、トランクスがいた未来を変えられるわけではなく、トランクスが過去に干渉した時点で平行世界(パラレルワールド)が発生して、その世界は新しい未来になる……という話だ。

 そういえば、鳥山明最新刊の『銀河パトロールジャコ』は『ドラゴンボール』と世界観が同じなのだが、作中で銀河パトロールの隊員であるジャコが、

「銀河法で時間コントロールは厳しく罰せられる」

と言っている。だとすると、タイムマシンを作ったブルマは罰せられているのだろうか? ……まあ、『ドラえもんはなぜタイムパトロールに捕まらないのか?』みたいな、話なので気にしなくていいのだけど、ちょっと気になる。

 そもそも複雑な話だが、今回のラスボス、セルの登場でより複雑になる。セルは人造人間を作ったドクター・ゲロによる人造人間で、悟空、ピッコロ、ベジータ、フリーザなどの細胞から作られている。17号と18号を吸収して完全体になるために、トランクスを倒してタイムマシンで過去にやってきた。

『ドラゴンボール』始まって以来の難解な展開だが、読んでいてめんどくさい感じはない。基本的には、バトルを中心に話が進んでいく。

 新しい展開も多いが、これまでの『ドラゴンボール』のパターンも繰り返される。ヤムチャはいつもどおり一番最初に倒されるし、悟空は病気により長期退場。ラスボスは何度も形態を変える。栽培マンと同じパターンの、セルジュニアが登場。ベジータは威張ったり悔しがったりの繰り返しである。

 パターンを踏襲しつつ、人造人間やセルとの戦いで、強さのインフレはますます加速していく。

 もちろん僕は楽しんで読んでいたのだが、若干のマンネリ感を感じていたのも確かだ。

『ドラゴンボール』には死後の世界があり、ドラゴンボールで生き返ることができるというのがストーリーの前提だ。それは漫画のアイテムとしてはとても便利なんだけれど、“死”そのものの意味は軽くなる。仲間や主人公が死んでも、どうしても緊張感が出ない。これは“生き返り”をさせてしまった漫画が背負う宿命である。具体的には、『キン肉マン』『魁!!男塾』『聖闘士星矢』などである。

 大学生というのは得てして、生意気なものである。大抵の大学生は何も成し遂げていないのに、他人に対してはとても厳しい。僕の周りでももちろんそうだった。『ドラゴンボール』に対しても、

「もう終わりだな〜飽きた。つまらん」
「そろそろ新しい漫画を描けばいいのに」

なんて、生意気にも苦言を呈していた。ただ、そう言いつつ、みんな毎週毎週欠かさずドラゴンボールを読んでいたし、本気で“『ドラゴンボール』が終わる”という未来が来るとは思っていなかった。

「セル編」の終盤、悟空は自爆しようとするセルを、界王星に瞬間移動させたために死んでしまう。しかしセルは大幅にパワーアップして復活。完全体のセルは、悟空ではなく、悟飯が倒した。そして悟空は、セルゲーム終了後も生き返ることを拒否した。主役が悟空から悟飯へ移り、「セル編」は終了する。

 悟飯が本当に主役としての器があるのか? なんて思いつつ、「魔人ブウ編」が始まった。そしてついに、『ドラゴンボール』は終わってしまうのだ。

●村田らむ(むらた・らむ)
1972年、愛知県生まれ。ルポライター、イラストレーター。ホームレス、新興宗教、犯罪などをテーマに、潜入取材や体験取材によるルポルタージュを数多く発表する。近著に、『裏仕事師 儲けのからくり』(12年、三才ブックス)『ホームレス大博覧会』(13年、鹿砦社)など。近著に、マンガ家の北上諭志との共著『デビルズ・ダンディ・ドッグス』(太田出版)、『ゴミ屋敷奮闘記』(鹿砦社)。
●公式ブログ<http://ameblo.jp/rumrumrumrum/

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