なぜ『キルラキル』は”服”をテーマに選んだのか? 人間の“個性”を問うた物語

――毎日、何本ものアニメが目まぐるしく放送されている現代日本。これだけ放送本数が多いと、見るのだって一苦労……。そんな悩める現代オタクのため、「おたぽる」がオリジナル作品を中心にテレビアニメ・レビュー! これさえ読めば、気になるあのアニメのあらすじから評判までがまるわかり!!※本文中には“ネタバレ”が含まれていますので、ご注意ください。

『キルラキル』
第24話「果てしなき闇の彼方に」

1403_killla24.jpg『キルラキル』公式HPより。

【今週の極私的見どころ!】
「女の子が安心しておしゃれできる、そんな世界に流子ちゃんがしてくれる!」
(満艦飾マコ/CV:洲崎綾)

「(わけがわからないもの)それがわたしたちってことだよ!」
(纏流子/CV:小清水亜美)

「セーラー服とは、いつか卒業するものだ」
(神衣・鮮血/CV:関俊彦)

【今週のおすすめ度】
★★★★☆
(前回のあらすじはこちら

 鳳凰丸礼(CV:藤村歩)を取り込み、生命繊維の頂点に立った神羅纐纈。鬼龍院羅暁(CV:朴ロ美[ロは王へんに路])が、纐纈の「絶対服従」の光であたりを照らすと、四天王の極制服はもちろん、神衣・鮮血や神衣・純潔までもが萎縮し力を失ってしまいます。

 そこに倒したはずの原初生命繊維も復活して、流子も為す術なしの絶対ピンチ! しかし、流子に着られていない状態の鮮血が疾風戦刃で羅暁の胸を貫き、鳳凰丸を神羅纐纈から弾き出します。鮮血はただの神衣じゃなかったのです。まさに「人でも服でもない紛い物」。紛い物だからこそ、予想外の振る舞いができるのでした。鮮血以外の神衣は話さないしね。

「絶対服従」から自由になった流子と鬼龍院皐月(CV:柚木涼香)。片太刀バサミで羅暁を八つ裂きにしてしまいます。校庭に立っていた発信装置も、蟇郡苛(CV:稲田徹)が「まかせてもらおう!」と破壊。まるで、最終決戦でのロージェノム(『天元突破グレンラガン』)じゃないですか!

 しかし、決着がついたと思った刹那、羅暁は針目縫(CV:田村ゆかり)に「縫、その体、捨てろ」と命ずるのでした。自らのクビを切り落とし、原初生命繊維と、さらには神羅纐纈とも融合する縫。ネットの視聴者は「マミった」(『魔法少女まどか☆マギカ』)と即応の弾幕。こういうのは芸ですね。

 羅暁は「あとのことはわたしにまかせなさ~い!」とロケットに変形して、「繭星降誕」のために、世界中の生命繊維に信号を送る衛星へと飛んでいきます。このあたりの朴ロ美さんの癖の強い演技が、ネットでも「朴さんまじやべぇ」と大評判!

 純潔や極制服の生命繊維を吸収した鮮血は右目も開眼。ロケット形態「鮮血更衣(せんけつきさらぎ)」に変化して、流子と共に空へと飛んでいきます。

 宇宙から見えるのは、生命繊維に覆われた赤い地球。そして、「(宇宙の)創生と消滅は定められたことだ! 生命繊維の営みも、同じ宇宙の真理の一部なのだよ!」と問いかける羅暁。うーん、アンチスパイラル(『天元突破グレンラガン』)っぽい。

 しかし流子は「能書きはそこまでだ!」とまったくぶれません。ヤンキーですから、ごちゃごちゃした能書きや理屈は大嫌いです(参照)。

 羅暁の攻撃が流子の身体を貫きますが、「終わるのはお前のほうだ」と笑みを浮かべる流子。父・纏一身の最終兵器は流子と鮮血の無限の吸収能力、流子と鮮血は死にかければ死にかけるほど強くなるのでした。なんというサイヤ人!(『ドラゴンボール』) そして、鮮血は神羅纐纈の「絶対服従」までも吸収してしまいます。

「わたしたちは、人でもなく服でもなく! 人でもあり服でもあり、全てでもある!」「人は人! 服は服だ!」と、流子と鮮血。さっぱりわけがわかりません!

「わけのわからないことを!」とまっとうな羅暁にも、流子は「それがわたしたちってことだよ!」と応えるのです。つまり、わけがわからない存在こそが人と服なのだ、と。

「絶対服従」の能力を吸収した流子が、地球を覆う生命繊維に「人は人、服は服だ!」と命令すると、生命繊維は地球から消滅します。生命繊維の消滅を見た羅暁は、自らの最期を選ぶのでした。「生命繊維はまたこの星にもやってくる。必ずな」という言葉を残して……。

 地上へと戻る最中、羅暁との戦いで消耗した鮮血は大気との摩擦熱で徐々に燃え削られていくのでした。そして、「楽しかったぞ、お前に会えて」「これからは好きな服を着ろ。わたしよりもかわいい服をな……」と言い残し、ついに燃え尽きてしまいます。鮮血の最後の布片が、星屑のように燃え尽きるのを見た流子は大粒の涙を流し鮮血の名前を叫ぶのでした。

 地上では、皐月やマコ、四天王や満艦飾一家が待っています。落下してくる流子を受け止める仲間たち。「おかえり、流子」と言う皐月に「ただいま、ねえさん」と応える流子。

 エンディングでは、流子がマコと約束した「女の子が安心しておしゃれできる」世界で、デートを楽しむマコ、皐月、そして流子の姿があるのでした。



 制作がギリギリで『新世紀エヴァンゲリオン』の“「おめでとう!」エンド”も疑われた最終回予告でしたが、最後までアツかったですね。自己犠牲にグッときてしまうのはやっぱり日本人だからでしょうか。

 最後、髪がショートの皐月はかわいい、顔を赤らめたガマの花束の行方が気になる、本当はそうであることがとても難しい“楽しむことに無邪気なふつうの女の子”であり続けるマコが尊い、鮮血がいなくなった後のそんな景色がまた切なく涙を誘います。

 いろいろ解釈はあるだろうけど、「わけがわからないもの」を肯定しよう、そんなメッセージを一貫していた気がした『キルラキル』でした。言葉を変えれば、本作は「お仕着せ」についての物語なのかな、と筆者は思ったのです。

 善悪の判断だったり価値観だったりセンスだったりというのは、その人の血となり肉となり個性を作るけど、その個性も、自分自身のオリジナルなのか、それとも、周りの社会や組織の影響を受けて「お仕着せ」られるのかは、よくわからない。あるいは、2つが混ざって形作られるものとも言えます。それを「着る」か「着られる」かと言い換えれば、『キルラキル』は、きっと後者を完全否定せず(人の進化は生命繊維が作ったので)、それでも前者を大肯定しているのだと思いました。そもそも、「無限に吸収」できる人間は「わけのわからなさ」から逃げられない、ならばそこから逃げてお仕着せのものに「着られて」しまうより、「わけのわからなさ」そのものを「着る」ことにしようじゃないか、と。そんな気がしました。

 絹江さんとか、黄長瀬紡とか、人物をもうすこし丁寧に描いて欲しい気もしたけど、あの勢いとアツさがあれば、細かいことはいいのかもしれません。

 DVD、BDには第25話が入るようです。楽しみですねー。
(文/尾野スミ)

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