【連載】誰も語らないパチンコの中の“アニメ” 第3回

ケンシロウの遠足を眺めるだけ!? 『北斗の拳』シリーズが見せたパチンコの“進化の可能性”と“限界”

 まずは可能性の拡張という点から語ろう。これはパチンコ・スロットユーザーであれば、ほとんど説明する必要すらないことだが、『北斗の拳』の最大の意義は、バトル演出というストーリー性を持ち込んだことだ。パチスロ版大ヒットの最大の要因といってもいいこの演出は、大当たり中にケンシロウがラオウとのバトルに突入し、勝てば勝つほど当たりが続くというものだ。

 この演出は『北斗の拳』というバトルマンガの世界観を取り込み、再現するという点で極めて高い成果を上げた。『CRエヴァンゲリオン』がストーリーリーチによって「キャラクターの間借り」から「PVボックス」へとパチンコ台を進化させたように、パチスロ『北斗の拳』はバトル演出によって作品世界の再現という次元へとパチスロ・パチンコを引き上げたといっていい。パチスロ版からスタートしたこの演出は、パチンコへと継承され、現在のバトルスペックと呼ばれる機種の礎となっている。00年代のアニメ・マンガパチンコの歴史的ターニングポイントだ。

 だが、この進化は、ある意味“マンガ・アニメの再現”という点では限界を示したものでもある。

『北斗の拳』が切り開いたバトル演出の本質は、マンガやアニメという「正史」の再現ではなく、プレイヤー自身がifストーリーを紡いでいくゲーム的演出だからだ。もちろん、ラオウとのバトルの末にはプレミア的に「ラオウ昇天演出(我が生涯に一片の悔いなし!!)」といったムービーも用意されている。しかし、その過程では何度も何度もバトルが繰り返され、何度も何度もケンシロウがラオウを退ける。そこでは、原典であるマンガとは異なる展開も多数用意されている。それは、アニメーションを見ているというよりも、プレイヤー自身がケンシロウとなって『北斗無双』のようなゲームをプレイしている感覚に近い。

 その意味でいうなら、パチスロ・パチンコの『北斗の拳』シリーズは、ゲーム的コンテンツ再現の可能性を広げたが、アニメ・マンガという原作そのものを再現・追体験させるエヴァの映画的な進化を遂げるには限界があった。ゲーム的で多様な分岐(物語的自由度)を持つからこそ、正史への没頭という映画的楽しみの追求には向かなかったのだ。

 さらにいうなら、物語性という点では『北斗の拳』はパチンコと非常に相性の悪いコンテンツだった。

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