“黒のカリスマ”蝶野正洋が、プロレス界の暗部に斬り込む!「今こそ業界をバッサリ改革すべき」

――武藤選手とノートン選手の試合はすごい試合が多かったですが、マサさんが後ろで糸を引いていたんですね! その武藤選手とは最近、やりとりはあるんですか?

蝶野 最近はないですね。武藤さんが全日本を辞める騒動のちょっと前に、彼の右腕である内田(雅之)さんを通して、「現場ではここに気をつけないと、足元をすくわれるぞ」っていうアドバイスをしたりはしてたけど、結局、現場じゃなくて上層部と揉めちゃったから、そこはノータッチでした。

――武藤選手は独自路線、自分の思った道を突っ走る人ですよね。

蝶野 それはそれでいいと思いますよ。武藤さんの全日本は、彼をトップにキレイな縦社会が形成されていて、とてもよくまとまっていましたし。ただ、縦社会になりすぎると、下の選手がいつまでも上に行けないんですよ。オレたち三銃士は自分たちの意見を出して、その上を倒していったんですけどね。今の若い奴らは、手を上げて物を言わない。アンダーテーブルで意見交換をし合って、ヘタしたらみんなで手を上げて意見を言うような感じ。それは時代の風潮なのかもしれないけど、オレは自分から手を上げて、前に進んで行きましたから。

――蝶野さんは本当にいろんなことをしていますよね。プロレス以外でも露出が多いですし。それもプロレス人気復活のためにやっていることですか?

蝶野 いや、そこらへんが難しいところで。(月亭)邦正をビンタするのは、プロレスにつながってないような気がしてきて(苦笑)。プロレスを知っている人は「お、蝶野が出てる」って注目してくれるけど、若い人には違ったイメージが付いちゃったみたい。それはしょうがないですけどね(笑)。まぁ、プロレスラーとして見てくれる分にはいいかなと。

――十分、プロレスラーの強さは伝わっていると思いますよ(笑)。最後に、本には書ききれなかったこと、あえて書かなかったことってありますか?

蝶野 それはプロレス界が次のステップに移行するための方法論です。各団体、関係者には提案していますけど、それはオレのライフワークとしてこれからやろうとしていることだから。ファンにはその活動に注目してほしいし、期待していてほしいですね。
(取材・文=高橋ダイスケ/2013.11.11日刊サイゾー既出)

蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)
1963年9月17日、アメリカ・シアトル生まれ。84年10月、新日本プロレスでデビュー。海外修行から帰国後、武藤敬司、故・橋本真也とともに「闘魂三銃士」を結成、一躍看板選手へと成長を遂げた。とりわけ96年以降、一大ムーブメントとなった「now」の総帥として絶大な存在感を発揮。その後、「TEAM 2000」を結成。10年2月に、デビュー以来26年所属していた新日本プロレスを離れ、現在フリーランスとして活動中。

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