『サカサマのパテマ』は新世代版『ラピュタ』? 若手アニメ監督を蝕むジブリ症候群の謎

2013.11.26

――毎週、何がしかのアニメ映画が公開されている現代日本。これだけ放映本数が多いと、全部見るのは至難の業……。そんな悩める現代オタクのために、「おたぽる」が送るアニメ映画レビュー! ※本文中には“重大なネタバレ”が含まれておりますので、ご注意ください。

■『サカサマのパテマ』

『サカサマのパテマ』公式HPより。

 現在公開中の『サカサマのパテマ』は、『ペイル・コクーン』『イヴの時間』などの短編で注目され、国内外のアニメコンペンションで数々の受賞歴を誇る吉浦康裕監督初の長編アニメ映画である。11月初頭の封切りより公開3週目に入る本作だが、まずはあらすじを紹介しよう。

 立ち入りが禁じられている「危険区域」をお気に入りの場所としていた、地下世界の姫・パテマ。そんな彼女は、ある日、危険区域にある底の見えない穴へと落ちてしまうのだった。その穴が通じているのは、空を忌み嫌う人々が暮らす世界「アイガ」。そんな世界の中で、少年エイジは空に憧れていた。そんな中、エイジは空に向かって落ちてきた少女・パテマと出会うこととなり、物語が始まっていく……。

 結論から言ってしまおう。これは吉浦版『天空の城ラピュタ』(以下、ラピュタ)である。国民的アニメと呼ばれるスタジオジブリ作品群への壮大なオマージュ作品である。

 物語の大仇であるイザムラは、君主国の独裁者。美少女を拘束し大仰な台詞回しでねちねちといたぶるという、『未来少年コナン』のレプカ、『ルパン三世 カリオストロの城』のカリオストロ、そして『ラピュタ』のムスカ直系の悪役キャラクターだ。ヒロインのパテマは地下種族族長の娘で、敵対する地上人に囚われ、高くそびえる尖塔の最上階に幽閉される。それを救出すべく、主人公のエイジは塔の屋上で武装警察隊と大立ち回り……。そしてなんと、後半には天空を浮遊する機械島(!)まで登場してしまうのだ。まるで『金曜ロードショー』を見ているかのような錯覚に陥る。

 イメージの既視感はこれだけではない。エイジの通う学園はコンピュータによって常に監視され、没個性化を強いられた管理社会の縮図のような空間だ。SF映画『THX-1138』や『未来世紀ブラジル』などで繰り返し描かれてきたディストピアそのもの。イザムラの差し向ける武装警察隊は、ロングコートを着て「紅い眼鏡」を光らせた「地獄の番犬」さんたちにそっくりで、思わずデザイナー陣のクレジットを確認してしまいました。

 しかし『ラピュタ』に酷似した作品は、本作が初めてではない。叙情性あふれる作品群で知られる新海誠監督の長編アニメ『星を追う子ども』(11年公開)も、ジブリ作品から多大なインスパイアを受けたと監督自ら公言した一本だが、公開当時観客からもそのストーリー構成・キャラクター配置の類似性が指摘されて話題となった。かように若い世代の監督にとって、名作アニメのアーキタイプとしての『ラピュタ』とジブリの存在はあまりにも大きいのだと痛感したのだが、さて『サカサマのパテマ』は単なる亜流・エピゴーネン(模造品)にすぎない作品なのだろうか?

 そうではない。複雑な階層で迷宮化した地下世界。作品世界内で多用される印象的なモニターグラフィックス。闇の中に浮かび上がる細かな粒子の輝き、ラストで再生する母なる地球の大地……。飛行でも滑降でもなく、ゆるやかな浮遊感を伴った「上昇する下降感」を持って空へと「落ちてゆく」感覚。本作で描かれるこうした吉浦監督独自のイメージの奔流は、実は2005年製作の『ペイル・コクーン』内ですでに色濃く描かれている。極論すれば、両作は姉妹編ともいうべき関係であり、『サカサマのパテマ』は、SF色の濃い『ペイル・コクーン』のファンタジー版リメイクとも捉えられよう。これから鑑賞される方はぜひ『ペイル・コクーン』と併せて鑑賞することをおすすめしたい。

 さて吉浦監督にせよ新海監督にせよ、気鋭の監督がキャリアのターニングポイントとなる時期に『ラピュタ』へと挑戦するのには何か理由があるのだろうか? 勝手な憶測ながら、それは恐らく“エンターテインメント”としての不朽の名作へ挑むことで、彼らのアニメーション作家としての成人式、プロフェッショナル監督として踏み出すための通過儀礼的意味合いを持っているのではないだろうか。

『サカサマのパテマ』はたいへん丁寧に作られたアニメ映画だが、もちろん難が無いわけではない。ビジュアル面での凝りように対して、(ジブリ作品への憧憬の要素を引き算しても)文芸面での弱さはいかんともしがたく、サカサマだった地下人のパテマたちこそが「正位置」であり、地上人エイジらが「逆さま」だったことが判明するどんでん返しも、ややわかりづらかったように思う。

 しかしながら、宮崎駿監督が繰り返し描いた、少年がお姫様を助け出すという“ボーイミーツガール”の物語は、宮崎氏がアニメーターとして参画した『太陽の王子ホルスの大冒険』『長靴をはいた猫』で魅せるテクニックを蓄え、『ルパン三世 カリオストロの城 』で大きくブラッシュアップして開花させ、それらを踏まえた総決算・集大成として、オリジナルの『天空の城ラピュタ』を完成させたのだ。この時、宮崎監督は40代半ば。以降、宮崎監督はこうしたストレートなジュブナイルから離れ、独自の世界を深める方向へと進んだが、天才と称される男ですらも、隙のない作品を完成させるまでにはこれだけの蓄積があっての事である。30代前半である吉浦監督が何を臆するところがあるだろうか?

 本作の演出面で特筆すべき所は、メインビジュアルにも描かれ劇中何度もくり返される、エイジとパテマが手をつないで上下に連なって“空を落ちて”ゆくシーンである。これは本歌である『ラピュタ』でパズーとシータが手をつなぎ飛行石で空を駆ける感覚でもなく、『超時空要塞マクロス』第2話「カウント・ダウン」で描かれた、超高速で空中を落下するリン・ミンメイを追う一条輝がバルキリーのコクピットから手を伸ばし助け出す立体的超高速アクション(アニメーター板野一郎さんが作画を担当)でもない、吉浦監督ならではの浮遊落下感が描けていたと感じる。

『サカサマのパテマ』は、若き吉浦監督が巨匠・宮崎監督へ向けて「エンターテインメントとは何か?」という自分なりの解答を示した映画になったと思う。プロフェッショナルな表現者として腹をくくった吉浦監督が、次に何へ挑むのか? これからの勝負に期待したい。

 最後にひとつ。中盤以降、囚われの身になったパテマはキャミソール姿で常にワキ全開なので、貧乳キャラのワキフェチという特異な性癖の諸兄にはまったくもって必見作と言っておこう。
(文/出口ナオト)

■『サカサマのパテマ』
公式サイト http://patema.jp/

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