単なるバブル世代の懐古ドラマか? ゲームがオシャレだった時代を描く『ノーコン・キッド ~ぼくらのゲーム史~』

 そのヒントとなるのが、第1話で取り上げられたシューティングゲーム『ゼビウス』だ。『スペースインベーダー』に見られるように、当時、すでにゲームは一般的なものになっていて、オタクだけがはまる「ネクラ」な遊びというわけではなかったが、やはり「オシャレ」ではなかった。そこに登場したのが『ゼビウス』である。

『ゼビウス』が画期的だったのは、隠れコマンドや隠れキャラといったオタク向けのやり込み要素はもちろん、ビジュアルデザインやサウンドデザイン、そしてサブカル的な引用やビジュアルが引き出すストーリー性など、オシャレどもをも惹きつける「かっこよさ」にあった。そのせいか、『ゼビウス』はゲーセンのオタクに限らず、クラブのオシャレたちもプレイしたという。つまり、オタクでオシャレなゲームだったのだ。『ゼビウス』は、音楽といい、出現する敵キャラといい、たしかにどこか「かっこいい」。

 考えてみれば、テクノという音楽ジャンルが流行ったように、80年代は「テクノロジー」概念の無機質感が「オシャレ」だった時代である。なので、テクノロジーの結晶であるコンピューターとゲームのつながりを考えれば、ゲームとオシャレがつながるのも自然なことだろう。例えば、当時、流行の先端だったテクノバンド「YMO」は、デビューアルバム『イエローマジックオーケストラ』(1978年発売)の一曲目『コンピューターゲーム “サーカスのテーマ”』で、その名の通り、ゲーム『サーカス』のサウンドを引用している。だから、『ゼビウス』を初回に持ってきた『ノーコン・キッド』の意図は明白だろう。バブル世代を象徴するようなオタクとオシャレ、そのどちらも含んだバブル世代の「ぼくら」を描くために必要だったのが、「ゲーム」だったというわけだ。

■ゲームはバブル世代とバブル以降の世代を繋ぐか?

 ということを思いながら、筆者がさらに感じたことは、「ゲームは、バブルとバブル以降の世代を繋ぐものでもあるのかな」ということだった。

 ファミコンに代表されるコンシューマ機の登場以降、ゲームは圧倒的に身近な存在になった。筆者自身、『ファミコンジャンプ』『F-ZERO』『グラディウス』『いただきストリート』といったゲーム無しに少年時代を考えることができないが、そういう「日常的にゲームを楽しむことが当たり前になった」のが、まさにバブル世代だ。そういう意味では、バブル以降の世代はみんな「ゲーム世代」なのだ。

『ノーコン・キッド』のサブタイトルは、『ぼくらのゲーム史』。もちろん、ドラマの主人公たちはバブル世代なわけだから、「ぼくら」を「バブル世代」ととるのが自然かもしれない。でも、「ぼくら」とはバブル世代以降すべての「ゲーム世代」のことだと筆者は思った。

 物語が2013年の現在へと進むにつれ、『ノーコン・キッド』は「バブル世代の半生記」から、まさに「ぼくらのゲーム史」になっていくだろう。「ぼくら」の中に自分が交ざる回を筆者は楽しみにしている。

 あと、TOKYO NO.1 SOUL SETのOPと、音楽の砂原良徳もこのドラマの見所だと言っておきたい。OPでスイカを割る木戸は、毛利名人と対決する高橋名人のオマージュであります。
(文/尾野スミ)

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