単なるバブル世代の懐古ドラマか? ゲームがオシャレだった時代を描く『ノーコン・キッド ~ぼくらのゲーム史~』

1311_nocon.jpgテレビ東京『ノーコン・キッド ~ぼくらのゲーム史~』公式HPより。

 現在放送されているテレビ東京系の深夜ドラマ『ノーコン・キッド~ぼくらのゲーム史~』(全12話/7話まで放送済)が、静かな話題を呼んでいる。

『ノーコン・キッド』は、主人公たちが15歳だった1983年から、45歳となった2013年の現在までの半生を描こうという物語。これだけ聞くと、『半沢直樹』や『あまちゃん』など、バブル世代(60年代後半生まれ)や80年代を意識する最近の流れだねー、という感じもする。

 実際、『ノーコン・キッド』は80年代の香りが濃厚なドラマだ。例えば、第1話では、浜野謙太演じるゲームの達人・木戸明信が相手を指して「おたく」ということばを使ったり(これが一般名詞「オタク」の語源ともいわれる【諸説あり】)、第3話では、波瑠が扮するオシャレ少女・高野文美が日本初のクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」やテクノバンド「YMO」、「プラスチックス」に熱中している様が表されるなど、各話に当時の生活を彷彿とさせるような仕掛けが施してある。

 1980年生まれの筆者が10代を過ごしたのが90年代だからか、最初にドラマを観た感想は「世代が違うな」というものだった。『ノーコン・キッド』の主人公たちの10代は、80年代。日本社会がバブル絶頂期に向けて急加速した時代である。経済的にも文化的にも、90年代と80年代の差は大きい。なので、「『ノーコン・キッド』はバブル世代の懐古ドラマじゃないか」とか思って観ていたわけです。でも、ずっと観ているうちに、『ノーコン・キッド』はただの「バブルを憐れむドラマ」とは違うのでは? というような気がしてきた。それは、このドラマを彩るギミックのひとつでもある「ゲーム」をめぐることだ。

■オタクとオシャレが交わった『ゼビウス』という結節点

 80年代の雰囲気をざっくりと言ってしまえば、どこか空騒ぎ的なノリの社交性と、人と違うセンスを競い合った「オシャレ」の「ネアカ」、そして、この「ネアカ」の対極に配置される「ネクラ」で表される。「ネクラ」とは、簡単に言えば、アニメやマンガにはまり、コミケに通うような「オタク」だ。この「ネアカ」と「ネクラ」の違いは、今のジャーゴンやスラングで言えば、「モテ/非モテ」「リア充/非リア」と理解すればわかりやすい。

 今ではある程度一般的なオタク(=「ネクラ」)も、当時は「ネアカ」の蔑みの対象で、「ネアカ」と「ネクラ」の間には交わることが許されない趣味世界の境界線があったとされる。この2つの異なる文化こそ、80年代的なものだった。だから、『ノーコン・キッド』の中で、オタクゲーマーのブサイクな木戸(≒ネクラ)とオシャレサブカルでかわいい高野(≒ネアカ)が同じ仲間として描かれることは、本来なら違和感が残ることのはずだ。そこで、この対極的な2人をつなぐものとして『ノーコン・キッド』は「ゲーム」を配置する。どういうことだろう?

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