週刊アニメ時評 第33回

『けいおん!』制作陣集結の『たまこまーけっと』が陥った、“完璧すぎる理想の日常”の落とし穴

 対して劇場版『けいおん!』は、我々の生きる世界の延長線上にあると信じられていた外界ですらも、軽音部の面々に優しい閉じた世界であったがゆえに、TVシリーズには存在していたギリギリのリアリティが崩壊。原作コミック「college編」については、大学という外界に開かれた場に軽音部の身内ノリを持ち込もうとしたものの失敗。作品自体が方向性を見失い、空中分解してしまった感がある。

 そこで『たまこまーけっと』では、より完璧な「理想の日常」を構築するべく、主人公たちの行動半径すべてを「理想の日常」として描くのみならず、デラ=モチマッヅィという外国からやってきたしゃべる鳥という存在を持ち込むことで、この世界はどこまでもファンタジックで理想的な日常が広がっていることを想像させることが選ばれたのだろう。シビアな「現実」が渦巻く世界の片隅に「理想の日常」という避難場所を作るのではなく、どこまでいっても誰も傷つかず、悩むことのない理想の日常「しか存在しない」別次元の世界を創造してしまった『たまこまーけっと』という作品は、結果的に作品の外部に存在する我々視聴者の居場所すら排除してしまったといえる。

 身内のみでワイワイ盛り上がっているさまを、部外者である視聴者に「ほら、楽しそうでしょ?」「見て見て!」とアピールしたところで、受け手側としては「はあ、楽しそうですね……」としか言いようがないのである。視聴者の目線不在で、別次元の人々の取るに足らない日常ばかりが繰り返される『たまこまーけっと』に感じる違和感と空々しさは、つまるところ現実とは地続きではない作品に漂う「嘘臭さ」「薄さ」。そして「身内ノリに対する部外者の疎外感」にほかならないのだ。

 魅力的なキャラクターデザインや、新人からベテランまでまんべんなく配置したナイスなキャスティング、毎回思わずクスッとさせられるシナリオなど、どこを取っても非常に高いクオリティでまとまった高いポテンシャルを持つ作品だけに、あまりにも安全な作りに落ち付いてしまった点が非常にもったいない。

 物語としては、そろそろ折り返し地点を越えてクライマックスに向けて動き出す頃だろうか。理想に彩られた日常を描く『たまこまーけっと』という物語が、どのような「日常」に着地するのか期待したい。
(文=龍崎珠樹/日刊サイゾー 2013.02.17既出)

『けいおん!』制作陣集結の『たまこまーけっと』が陥った、“完璧すぎる理想の日常”の落とし穴のページです。おたぽるは、アニメ話題・騒動の最新ニュースをファンにいち早くお届けします。オタクに“なるほど”面白いおたぽる!

- -

人気記事ランキング

XLサイズ……
XLサイズって想像できないだけど!!