「少女」と「死」のアンバランスな美しさ──映画『少女』レビュー

1610_syoujyo.jpg映画『少女』公式サイトより。

「もっとも死の近くにいる人間は、老人でも病人でもなく、少女である」

 そんな言葉を聞き、不思議と納得がいったのはいつのことだったろう。

 個人的な感覚かもしれないが、私は少女を見て死の匂いを感じることがある。そしてそれは、とても魅惑的な匂いだ。

 現在公開中の映画『少女』は、そんな少女と死をテーマにしている。

 高校2年のクラスメイト、由紀と敦子。いじめ、老人介護、盗作、2人はそれぞれに問題を抱えている。そんな苦しみの中で、彼女たちは「人の死を見てみたい」という衝動に駆られる。

 由紀を演じた本田翼、敦子役の山本美月、それぞれ24才と25才が、17才の役を演じている。しかし、年齢的な違和感はない。特に本田翼は、テレビでの明るくはつらつとしたイメージを覆し、闇を抱えた少女をうまく演じきっている。リアルタイムでの17才を振り返り、そのありようを俯瞰しているからこそ、できる演技なのかもしれない。

 それにしても一体、彼女たちが抱える「死」への執着は何なのだろう。成人男性の私から見ると、彼女たちはまるで、生と死の間にある海岸線を、波遊びをしながら歩いていくように見える。

「少女」とはつまり、大人になる前の女性である。

 これから「大人」という新しい世界に入るにあたって、その「見えている世界」に絶望し、「見えていない」死の世界に憧憬を抱くのだろうか。

 大人になる前に悩むという点では、男性も同じである。

 しかし、女性が死と向かい合うとき、それは男性のものよりも、より深く、複雑な思いを抱いている気がする。それはなぜか。

 女性は、子どもを生むことによって、「生」を作り出せる存在だからではないだろうか。

 私はよく、「女性を神聖化しすぎる」と指摘されることがある。確かに、その傾向はあるだろう。しかし、やはり女性を特別な存在と考えないと、理屈が通らないことが、世の中には多くあるのだ。

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