『月のワルツ』から10周年!『ハナヤマタ』『ノゲラ』…職業アニメ監督として生きるいしづかあつこの半生【前編】

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――10年前、みんなのうた2004年10月・11月の放送曲として『月のワルツ』が放送された。当時、その神秘的な映像が話題となったことを覚えている人も多いに違いない。その監督、いしづかあつこさんは、最近では『ノーゲーム・ノーライフ』に『ハナヤマタ』と、テレビアニメシリーズの監督として慌ただしく活躍している。

 いしづか監督について、学生時代の自主制作や『月のワルツ』での認識を持つ人と、現在のテレビシリーズの監督として知る人とで乖離があるように思われる。現在も所属するアニメ制作スタジオのマッドハウスに入社してから10周年でもある節目に、色々とお話を伺ってみた。

■自分の好きなことがアニメ制作へと結実していく学生時代 自主制作ブームも背景

『ドラえもん』が好きないしづか監督。ドラえもんの大好物どらやきを手にしながら、話を始めた(そのどらやきは、原作マンガを描いた藤子・F・不二雄が好んで通っていた時屋のものである)。

いしづか「実は『ドラえもん』を好きなことと、アニメの道に進んだのはまったくリンクしてないんです。“『ドラえもん』が好き”って意識したのは、アニメを作るようになってからなので。子供の頃からずっと見てて、あって当たり前のものだったから、“アニメ『ドラえもん』を人が作った”って意識したことはありません。

 なので、“アニメを人が作る”って感覚がないまま育ってるんですよ。ほかは『サザエさん』くらいで、アニメは見てないですね。キャラクターとして普通にあっただけで、一般人の感覚に近いと思います。子供たちが、大人たちの手によって作られた偶像として見てないような捉え方で来ました。『ドラえもん』が創作活動そのものに影響を与えているわけでもないんです。

 アニメに詳しくないのは私の最大の弱点ですが、アニメは自分1人で作るよりみんなで作ったほうがより楽しいってことに気付いて、マッドハウスを受けるという流れになりました。ですので、子供の頃にアニメを見た云々じゃなくて、自分が好きなことを積み重ねてきたらこうなっただけなんです」

 いしづかさんの活躍を振り返るにあたり、マッドハウス入社前、話は子供の頃まで巻き戻る。

いしづか「中学の時に美術部に入りました。その時の顧問の先生が画家でもあったので、『油絵面白いよ』って教えてもらって、油絵を描き始めたんです。部活とはまったく別の感じなんですけど、個人的に習い始めて『将来は画家になるんだ』って思ってました。その一方で、物心つく小さい頃からエレクトーンを習ってきたこともあって『エレクトーンの先生にもなるんだ』とも思っていて、絵と音楽、2つが同居したまま高校に進学しました。

 高校は進学校で、勉強についてくのが大変ながら部活に明け暮れてました。演劇部で、お話を作る面白さとか、お客さんを楽しませるエンターテインメント性とかを知りました。それらを全て組み合わせて、美大に進んだってことです。

 受験の時期にはエンタメ要素をプロとして意識してなかったので、とにかく絵が上手になれればいいと。音楽はピアノが苦手であることに気付いたので、趣味でいいと思って油絵画家を目指すつもりで受けようとしました。けど、親が『油絵学科って将来どんな仕事があるの?』って、すごく冷静な意見を言ってきて……。デザインのほうならビジネスチャンスがありそうだということで、デザイン専攻を受けました。

 いざデザイン専攻に入ると、『メディアデザイン』って分野があって、そこで映像という概念を知ることになったんです。映像という媒体は絵も音楽も物語もすべて詰め込めるじゃないかということで、ようやくアニメという表現方法にたどり着きました」

 いしづか監督が愛知県立芸術大学美術学部デザイン・工芸科のデザイン専攻に進学したのは、2000年。時はまさに、学生を中心とした個人による自主制作ブームを迎えていた(参照:水江未来さんインタビュー)。

いしづか「その頃は、大学での個人制作に勢いがつき始めた頃だったと思うんですよね。『デジタル・スタジアム』(NHK)は大学に入った頃は知らなくて、2年か3年の頃、同じ専攻にいた人がたまたまアニメーションに興味があって教えてもらいました。(大学の)私たちの代から個人でアニメーションを作り始める感じがありましたが、映像専攻があったわけではないし、大学にあるパソコンも、当時でも個人で買える価格帯のものでした」

 いしづか監督が在学中に制作した作品は『引力』『CREMONA』などである。大学のパソコン同様、制作ソフトも(当時は)安価な「Flash」であった。「Flash」での制作を意外に思うかも知れないが、いしづか監督の作風は当時の“Flash黄金時代”を知っている人が思い出す“Flashアニメ”的なもの【編注:ベクター画像によるシェイプアニメーションなど】ではなく、Adobeの画像処理ソフト「Photoshop」で描いた絵を順次「Flash」上でタイムラインに置いていく、ごく普通のアニメーション制作手段として利用していた。

 ちなみに、愛知県立芸術大学の後輩には、現在ショートアニメ『かよえ!チュー学』などで活躍している新海岳人さんがいる。新海さんの作品は当時から止め絵の会話劇だったため“Flashアニメ”だと勘違いされることもあったが、絵はIllustratorで描き、Premiereで編集。こちらも普通のアニメーション制作手段をとっていた。

いしづか「(大学時代に制作した作品としては)『桜見丘』もあるんですが、それは卒業前に個人で仕事として請けたMVですね。(制作当時は)卒業制作もやらなきゃいけなかったんですけど、私の大学生活って今考えてみると、学生してなかった気がするんです。『早く社会に出たい』とか、『早く仕事したい』とかずっと思ってたから。ひたすら仕事のためだけに作品を作って、学校の課題としてはまったく意識してないみたいな。紙の広告媒体の課題でも映像を作って出すとかしていて、卒業制作でも怒られてました(笑)。私としては、大学を良い成績で出ることじゃなく、卒業できればいいので」

 在学中のいしづか監督は『デジタル・スタジアム』以外にも様々なコンテストに応募していた。例えば『引力』と『CREMONA』は、04年5月、それぞれ「第16回CGアニメコンテスト」で入選と佳作だった(ちなみにこの回まで、新海誠監督も入選者のアテンドとして同コンテストに参加。新海監督は同年11月の公開に向けて、初の長編『雲のむこう、約束の場所』の制作が佳境を迎えていた)。

 面白いことに、偶然にもその回の同コンテストの審査員にはマッドハウス前社長の丸山正雄さんもいた。丸山さんは同コンテストの入選作品上映会に来場していなかったが、いしづか監督は上映会の壇上で、同年4月にマッドハウスへ入社したことも語っていた。

いしづか「CGアニメコンテストの話を丸山さんとしたことないですね。私が学生時代にやってたことが、丸山さんにとってどれほどのウェイトを占めてるかサッパリわからないです。入社してから注目してくれていたとはいえ、『引力』と『CREMONA』を(同コンテストに)出していたことが直接影響してたかというと、あまり関係はないんです。個人制作で求められるものと会社での集団制作で求められるものはまったく別だから、個人で作品を作ってたからといって、会社に入って『さあ作れ!』って言われることはまずないですし。

 就職面接でも『なんでマッドハウス受けたの? 個人でやってかないの?』って聞かれましたね。『ドラえもん』が好きだって話もしたんですが、私の作家性の強さから『スタジオ4℃とかプロダクションI.Gとか、色の濃いスタジオあるのに』って。私自身が個人でできることなんて限られてるって痛いほど知ってるし、能力の限界もわかる。“好き”と“できる”のはまったく別ですし。個人でアニメを作りたいって欲求は一切なくて、目指してるのは集団作業です。その中で、自分に向いている作品で、自分にできることだったり、これをやってほしいと求められることをやりたい。マッドハウスは幅広くやってて色のない会社だと思って実際に入ってみたら、結構色ありましたね(笑)」

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後編でも色々聞いていきますよ!

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